見出し画像

【短編小説】締切前のチョコレート

 朝は早めに起きて、まずは白湯を飲む。ポストを確認して新聞を回収。これは後で読む。
 朝食はサラダとサンドイッチ。今日は半熟の目玉焼きとこんがり焼かれたベーコンもある。
 ご飯が終わったらギルドからの通信が来ていないかを確認。なければ皿を洗って、そのままお掃除タイム。終わったら紅茶かコーヒー(気分によって変わる)を淹れて、新聞を読む。このとき郵便が来たらポストを確認。あやしい何かの広告か、弟妹たちからの手紙が来ることが多い。
 お昼ご飯は色々。今日はスパゲッティを茹でる。この前商業都市アルシュで購入したトマトソースを試す。昼ご飯を食べてお皿を洗って、軽く水回りを掃除したら外で剣の稽古と魔術演習。外出予定があっても欠かさない習慣だ。
 夕ご飯も色々。今日は豆の煮込みとサラダとレーズンパン。お皿を洗って水回りの掃除を終えたら少しのんびりする。歯を磨いたら家族への手紙を書いたり明日の予定を確認して就寝。
「…………」
 そんなノアの生活を目の当たりにしたとき、ラスターはめちゃくちゃ丁寧だなと思った。ラスターの一日なんて、起きた時間が朝。寝る時間が夜。頭上に何が輝いていようが関係ない。この世界の中心は太陽ではなくて仕事である。そんな生活だから、時々コバルトが起こしに来る。今でこそ脇腹を蹴られる前に飛び起きることができるが、昔はしっかり食らっていた。飯は気分によってそもそも食べるか食べないかが変わる。仕事前には固形食糧と決まっている。ニンニクの匂いが原因で隠れ場所がバレるなんて馬鹿げたことはしたくないからだ。
「丁寧だねぇ」
 ラスターがそう褒めると、ノアは少し照れくさそうにした。
「母さんの影響かな。父さんは……ほんとに酷い生活だったから」
「そうなの?」
「明け方に起きるときもあれば、昼に起きるときもあるし、朝は必ずスペシャルバナナカスタードチョコレートスペシャルホイップパンケーキを食べて……」
「何、その、聞いてるだけで胃がもたれてきそうな名前のパンケーキは」
「甘党だったから」
 甘党通り越して糖尿だろう。ラスターはちょっと笑った。そもそも朝食を食べていないラスターはノアの父親をどうこう言える立場にない。
 ……ともかく、そんな丁寧な暮らしをしているはずのノアは今、昼食にキュウリを一本持ってきた。
「報告書が間に合わない」
 そう言いながら、ノアはキュウリをかじった。ラスターは「パンを焼こうか?」と聞いたが「食べてる時間がない」と断られてしまった。
 ノアはキュウリでテーブルをつついてから、それを再び口へ運んだ。キュウリがつつかれた箇所から少しだけ離れたところに、塩が入っている小皿があった。自分の食べたキュウリに塩が付いていないことに気付いたのか気づいていないのか分からないが、ノアは右手でキュウリをかじりつつ、左手にペンを持つ。
 依頼報告書は基本的にギルドの代表が綴ることになっている。ラスターが代わりに書くことは許されないのだ。
「えっと、この前の村は……」
「ディリ村」
「ゴブリンじゃなくて……」
「巨大ワームの幼生」
 近づく〆切にパニックになりつつあるノアをそれとなくサポートしながら、ラスターは紅茶の準備を始めた。
「原因が、正しく処理されていない生ゴミで……あと村の様子ってどんな感じだった?」
「ふつーの村だな」ラスターは手をちょっと止めて答えた。
「強いて言うなら、立ち寄る商人が多かった」
「薬草の群生地が多いから、供給が安定しているんだよね。それで、ああ……まとまらない」
 ラスターは紅茶の抽出を待つ間、菓子を保管している箱を漁った。いい具合にチョコレートがあったので、引っ張り出して遠慮なく開封する。ノアはもうキュウリを食べ終えていた。
「一撃で仕留めないと薬草で回復されてしまうから処理が大変で……」
 書きながら中身を音読するノアだが、肝心の文字はひょろっひょろだ。普段の流れるような文字に力がなくなり、そのまま溶けてしまいそうな筆跡である。
「ノア」
 ラスターは相棒の名を呼んだ。
「何?」
 顔を上げたノアに、ラスターは微笑む。
「あーん」
 口を開けるように指示すると、ノアはちょっとだけ戸惑った顔をした。恐る恐る、といった様子で開いた彼の口腔に、ラスターは一番大きなチョコレートボンボンを放り込む。
「頭使う作業には甘いものって決まってるだろ」
「…………」
「あんたの親父さんがパンケーキ食ってたのも、そういう理由じゃないかな」
 せっかく開封した菓子だ。ラスターも一粒口に放り投げた。ミルクチョコレートの優しい味が舌の上でとろけて、中のキャラメルソースが流れ出る。食にこだわりのないラスターだが、旨いものを食べないという道理はない。丁寧な旨さを心の底から味わっていると、ノアからとんでもない一言がすっ飛んできた。
「それ、〆切過ぎちゃったお詫びにシノに渡そうと思って買ったチョコレート……」
「…………」
 ラスターは沈黙した。窓から午後の風が静かにやってくる。
「〆切過ぎてたの?」
「延長三回」
「……もう一回伸ばしてもらったら?」
「今回の延長を許してもらうためにチョコレート買ったんだよね」
 ラスターは三個目のチョコレートをノアの口に放り込んだ。
「……死ぬ気で書くしかないな」
ふぁかっふぇるよ」
 ノアの羽ペンが動く。先ほどよりもしっかりとした文字がするすると綴られていく。
「まぁ、チョコレートは俺のせいにしとけよ。ラスターが食べちゃったってことで」
「いや、売り切れてたってことにする」
 手を必死に動かしながらノアはそう言ってのけた。ラスターの肩が揺れる。多分その嘘はバレるだろうな、と思ったが、わざわざ言うほどのことではないだろう。
「知恵が回るねぇ」
 淹れたての紅茶をノアに差し出しながら、ラスターはチョコレートを食べた。
 齧ると中からフルーツソースが流れ出た。酸味の後に鼻へと抜けた香りが、「ラズベリー!」と自己の名を叫んでいた。
 ……その後、無事に報告書を完成させ、ギルドに提出しに向かったのはいいが開口一番「随分と甘い匂いがするのね」とシノから容赦ない指摘を食らったのは言うまでもない。


気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)