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創作大賞2024応募作品~ホットヨガから考える”私”とは何か?

参考:ホットヨガの魅力とは何か?↓

「限界は自分で決めるもの」 ヨガアドバンスのレッスンを受けた時、この言葉を思い出す。この言葉は大学生の時にアルバイトをしていたレストランで働いていた方(和美さん)から頂いた言葉だ。彼女はもうお星様になっている。この世にはいない。けれど、記録記憶も私の心に鮮明に輝いていて、今も生きている。彼女から頂いた記録(お手紙)と一緒に過ごした記憶は生涯忘れることはないだろう。

 レストランのホールといったマルチタスクを伴う業務は私のキャパを超えていた。怒られながらも、何故か4年間も在籍した。当時の私を救ってくれたのは、私より15歳上の和美さんという存在だった。彼女は常に人と真摯に向き合い、曲がったことが嫌いで、よく笑い周囲を常に明るくさせていた。彼女は手塩にかけて私を育てくれた。おそらく、彼女の性格からして、真摯に仕事に取り組む私をほっとけなかったのだろう。ある日、不器用ながらも仕事に取り組む私に対してこう言った。

「『限界は自分で決めるもの』って言葉知ってる?」私は正直に「知らないです・・」と言った。彼女から「辛くても、まずは懸命に目の前のことに取り組むんだよ。必ず味方になってくれる人がいるからね。超えられない限界はないんだよ」と私に丁寧に教えてくれた。周りが敵になっても、和美さんだけはいつも私の味方になってくれて応援してくれた。

ある日、彼女から手紙をもらった。頂いた言葉は「限界は自分で決めるもの」のことの背景がしっかり書き込まれていた。「~辛くても、苦しくても逃げず立ち向かわなきゃ駄目だよ。試練を超えたものは神様からプレゼントがもらえるんだよ。そのプレゼントは人それぞれだけど精神的な強さをもらえたり、人の気持ちがわかるようになる優しさが貰えたり・・人の為に自分が何をするべきか、何ができるか・・逃げず立ち向かえる強さをこれから手に入れる為にちゃんと目を見開いていろいろなものを見ていくんだよ。超えたことをムダにしたら駄目だよ。色々なことを吸収して人の気持ちがわかるカッコイイ大人の女性になって欲しい」と。

私はこの言葉をお守り代わりとし、ポケットに入れいつも保温していた。だが、社会ではこの言葉は全く通用しなかった。何度も限界を超えるまで働いて、必死に生きた20代だった。そんな努力とは裏腹に、社会不適合者としての黒歴史が始まる。いつの日か一番大切にしていた言葉「限界は自分で決めるもの」という言葉を握りつぶしてしまっていた。

お陰様で、現在は何とか身の丈に合った環境で安定した働けている。定職に就けないという病が嘘かのように笑い話になっていた。新しい病が私に襲ってきた。それは暇という名の贅沢な病だ。これもまた厄介な病だった。

金平糖が弾けたかのように私はマッチングアプリをモンスターハンターごとく利用していた。客観的指標を頼りに、いわゆるハイスぺ男子とデートを重ねた。「また会いましょう」「お付き合いしましょう」その言葉を聴けると満たされた。

コントロールとジャッジという名の鋭利を装着した私は、短期的なモテを攻略できるようになっていた。しかし、現実は甘かった。楽をして手に入るほど苦しみはしっかり伴っていた。肝心な心が通っていなかったのだ。和美さんが教えてくれた「~人の為に自分が何をするべきか考える」という教えはすっかり蒸発して消えていた。

 父の死をきっかけにホットヨガを習い始めた。軽い趣味にする予定のはずが、今は恋人のような存在になっている。「知れば知るほど好きになる」そんな感覚を味わせてくれていた。ヨガアドバンスは強度の高いポーズが多くて、辛くて、逃げたくなった。音のない空間で意識を自分に向けることは、己の限界と感情と向き合わせてくれた。ヨガアドバンスという苦しみの一時的な快楽に沼る一方で、レッスンから解放されるという楽を得た。だが、厳しい現実社会に引き戻されるというパラドックスが繰り返されていた。

ヨガアドバンスをきっかけに「限界は自分で決めるもの」というお守りの言葉を思い出した。私は大きな勘違いしていたことに気が付いた。和美さんのいう「限界」は社会的な評価を得たりとか、客観的指標を示すものではない。「置かれた場所で精一杯咲きなさい」ということだった。痛みを知って、人の優しさを知る。その頂いたプレゼントを精一杯享受して、感謝の交換をして、信頼関係を築いていくことが大切であると・・・

再びポケットからお守りの言葉を取りだした。まだほんのり温くて、安心した。私は「限界」という球根を土壌に植え付け、「根性」という大きな根がはるようにと祈りを込めた。そして、いつか花が咲くようにと願いを込めた。その花は客観的指標を頼りにするものではない。人の弱さを愛せて、自分の世界を生きれる花。そう、カッコイイ女性になれる花だ。


【大人気レッスン:ミュージックヨガバーニング(MYB)のレッスンの感想】
※トップインストラクター限定。75分(通常は60分)。消費カロリー500kl超(他、200~300kl)

私は「強さは弱さの上に成りたつ」という言葉が好きだ。MYBはまさにこの言葉を象徴する。1番お気に入りのウェアを着て、期待を着れるレッスンなのだ。

最初は穏やかでゆっくりとしたメロディーの中で、丁寧に瞑想をする。繰り返されるポーズである”チンムドラー”は指先の末端にまで意識が溶け込む感覚がある。小さな輪っかを通して、内なる心の声が聴ける。その後、大地の熱さを”足”を通して強く感じていく。その足の末端から体の芯まで上昇される熱気を通して、踏み出す勇気をもらえる。「前に進め!」そんなことを思いながら、私は大きな一歩を踏み出す。ここからがMYBの幕開けの始まりである。

足を通して、お腹に邪悪な熱気らが集合した。その熱気は、情け・不安・限界という名のモンスターである。そのモンスターを倒すべく、お腹に全意識を集中させながら腹筋で攻撃する。ウォーリアー3で留めのポーズを決めた時、心のバランスまでも保てなくて悔しさで潰されそうになる。いつのまにか悔しさで滴る汗は、涙と化していた。その涙は私の弱さだ。己を知って、受け入れることのできない弱さだ。でも、涙を抱きしめながらも己と向き合った。その大粒の涙を光のない天井に向けて、思いっきり投げた。

その涙は結晶に変わった。結晶を浴びながら前進の筋肉を大きく使うパートに移る。裸足で大地の熱さを痛感し、壮大なミュージックの基でダイナミックにポーズを力強く決めていく。15分間、ノンストップで『今』を懸命に走っていくパートだ。ほろ酔い気分で「強くなれる!」そんな気持ちを抱かせてくれた。そして、滝汗という名のズルい結晶を身にまとえる私はヒロインになれた。そう、大好きなカッコイイ女性だ。

『今』を懸命に走りきった私は大の字で仰向けになった。ズルい結晶はいつのまにか雨に変わっていた。スパンコール上のシャワーを全身で思いっきり浴びた。こんなことを考えた。拙い過去は変えられないけど、未来は創作できるということ。だからこそ、『今』というこの瞬間を生き抜こうと。明るい未来を描くために。その為に、受け入れられないものを受け入れる余白と、変わらないものを大切に育てる力を養おうと決意した。

レッスン後、1粒の結晶の様なものが腕もとにあった。それは種だった。それは「信頼」という花言葉である蓮の花の種だった。その種を丁重に握り、拳を胸元に当て心臓の音を聴いた。私はこれからは自分と信頼関係を築いていけるという期待を着た。まずは弱さを受け入れて、ありのままの私を受け入れる。「『今』を懸命に生きていくんだ。」今までと違った尺度で強くなれた私は思いっきり背伸びをして、教室を出た。

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