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なぜ熱血指導は廃れたのか?

最近めっきり廃れたものがある。それがスポーツや企業における若者への熱血指導やシゴキである。

筆者が学生時代の頃には流石に「水を飲むな」といった非科学的な指導はすでになくなっていたが、顧問や先輩による厳しい指導はまだ行われていた。現在50代前半の氷河期世代前半組の頃は、部活によってはまだバチバチの指導が残っていた。企業による若手指導の場においても、氷河期世代が20代の頃はまだまだ現代の基準に照らし合わせるとパワハラに該当する指導も多々あった。

しかし氷河期世代の後半組からゆとり世代の頃にかけて、そんなシゴキ上等のスポーツ業界や企業の中にも、「体罰」や「パワハラ」といったワードが浸透するようになっていった。令和に入るとコンプライアンスが何よりも優先されるようになり、今や身体的な暴力はもちろんのこと、口頭による厳しい指導もご法度な時代となった。

いますっかり上下関係もなくなり、フラットになったスポーツ業界や会社組織を見ながら思うことがある。それが「氷河期世代辺りまで行われていたあの熱血指導、本当に意味があったの?」ということだ。

オリンピックでの金メダルの数は前回の東京五輪、今回のパリ五輪ともに20個を超え、熱血指導から解放された日本のアスリートたちの成績は過去最高となっている。オリンピックのみならず、プロ野球やプロサッカー、ボクシングなどプロスポーツの世界においても、大谷翔平選手や井上尚弥選手、三苫選手といった数多くの傑物が若手の中から登場し、世界で活躍している。

数字が支配するスポーツの分野では、どうも熱血指導が廃れてから現れた選手たちの方が、シゴキを耐えてのし上がった選手たちよりも世界的にハイレベルになっているのである。まるで熱血指導がアスリートの成長の足かせになっていたかのようだ。

彼ら令和のトップアスリートたちに共通するのが「自助意識」が徹底されていることである。

令和の若い成功者は、みな自力で努力し研鑽をしなければ成功できない、自分しか信じられないことを完璧に内在化しているのである

氷河期世代やゆとり世代が若者であったころはまだそこまで自助の意識が強くはなかった。もちろん自分で努力できることは大切だとの認識はあったが、まだどこか環境に育ててもらえる、自分以外の周囲の人間を頼りにする気持ちが残っていたのである。

氷河期世代の上の世代までは、若者は先輩や会社、社会全体に仕込まれてやっと一人前になる、といった意識が根強く残っていた。むしろ若者が独力ですべてを学び、努力して成功することを生意気だ、とマイナスに捉える風潮さえ残っていた。

「若いうちの苦労は買ってでもしろ」、「石の上にも3年」といった言葉がありがたがられていたのだ。令和の若者からすれば石の上に悠長に三年も座っているなんて馬鹿にしか思えないだろう。加速度的にあらゆる分野が成長していく令和では、意味のない努力をしてやった気になっている暇はないのだ。

加速する世界では最先端の情報を握る人間が最も価値が高い。先人がくぐった修羅場も、今は傾向と対策によって簡単にクリアできる事象になってしまう。ITの進歩による問題の共有とその最適解の割り出し速度は、もはや長年の経験では太刀打ちできないのである。

人と人とのコミュニケーションや人脈が生きるビジネス界では今でも長年の経験やつながりが強い力を持っているが、数字が支配するスポーツの分野ではもはや若者の方がベテランよりも、技術的には深く競技を理解している時代になっているのである。YouTubeで世界中のトップアスリートの動きを研究し、SNSで最新のトレーニング方法を共有する若者たちは、もはや熱血指導などというアナログな方法で成長する気はさらさらないのだ。

しごきを乗り越えて成長してきた氷河期世代の元アスリートたちの中には、「今の選手は先輩や監督コーチから厳しい指導が受けられなくて可哀想だ、彼らは自力で頑張るしか成長できない」といった今どきの若いアスリートを憐れむ声が聞こえてくるが、今の時代は自助能力が低いアスリートはそもそもトップ戦線まで登っていくことすら出来ずに脱落しているので、人々の目に留まるアスリートはみな怖い先輩コーチ監督のシゴキなどなくとも成長できる人間しか残っていないのである。彼らにはおじさんたちの心配など余計なお世話だろう。

今の指導者に求められているのは、自助能力の高い選手たちが迷った時に相談に乗ったり弱気になった時に励ますような、技術的な指導よりもメンタル的なコーチングの方に軸足が移されている。そもそも、最近は競技的な技術のほかにも栄養学やコンディショニング、スポーツ医学など求められる知識のレベルも飛躍的に上昇しているので、コーチの役割もより細分化され分業制を敷かなければ全ての分野をケアできない時代となっている。

スポーツメンタルに関する研究でも、恐怖を与えて指導する方法は選手の能力を伸ばせない、むしろ褒めた方が選手の自助能力が高まり伸びる、と結論づけられている。つまり、熱血指導は科学的に見ても効果がないどころか、有害だということが理論的にも、結果からも明らかになっているのだ。氷河期世代が受けていたありがたいご指導は、残念ながら意味はあまりなかったようである。

日本でも遅ればせながら時代の流れに沿った若手の指導が行われるようになったことは喜ばしいことだろう。しかし、日本で若者たちへのシゴキが廃れた理由は、そういった科学的な理由とは全く別の要因の方が大きい。なぜ日本の熱血指導が廃れたかと言えば......

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