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弱者男性原罪論

弱者男性原罪論”をご存じだろうか?

弱者男性原罪論とは、主に女性がモテ男にやり捨てられたり、パパ活でヤバ親父を引き当てて酷い目に合った時に、なぜかその罪が何の関係もない弱者男性に押し付けられる現象である。

弱者男性の多くは職場と自宅を往復する生活を送っている孤独な中年男性であり、彼らは女性とほぼ接点のない生活を送っている。彼らには女性と付き合ってやり捨てにできるような性的魅力はないし、パパ活をするようなお金も気力もない。彼らは女性から完全に透明化された存在である。

また弱者男性原罪論には、女関係でやらかして失脚した強者男性やモテ男が、突然弱者男性認定にされて叩かれるパターンもある。不倫をする芸能人やお笑い芸人は、どうみても弱者男性からは最も縁遠い存在である。女遊びが激しい強者男性と一緒くたにされ叩かれる、ガチの弱者男性たちはたまったものではないだろう。

女性が痴漢などの性被害に遭うのもオタクなポスターで喜んでいる弱者男性のせい、女性がホストなどに搾取されるのもミソジニストの弱者男性のせい、若い女性ばかりがチヤホヤされるのもロリコンの弱者男性のせい……

全ての問題の原因がアクロバティックな論法で弱者男性のせいにされてしまう。それが弱者男性原罪論なのだ。

そもそも弱者男性はどちらかといえば男性ホルモンが低いひ弱なタイプが多く、リスクを負ってまで女性に性加害を試みるタイプは少ない。それどころか、いじめなどの体験から三次元の女性に怯え、二次元の女性へ恋愛感情を抱いている者も多い。女性を性加害している男性は主にヤンキーなどの強者男性たちだ。

なぜ弱者男性はいわれのない罪を着せられボコボコにされるのか?それは彼らが“弱者”だからである。弱者男性はとにかく立場が弱く、見かけも弱々しいので叩きやすいから、という理由だけでリンチされているのだ。あまりに酷すぎる現実である。

この弱者男性原罪論の原動力になっているものがある。それが“他責性”である。何か自分に不都合なことが起きたときに、その原因が自分にあることを認めたり、不運が重なったことを受け入れたりすることは実はとても難しい。そのため、つい人は誰か他人のせいにして自分は悪くない!と開き直ったり、この不幸はあいつらのせいだ!と八つ当たりをしてしまうのである。

何か納得できないことや失敗してしまったときに、人や物に当たる人間はたくさん存在する。弱者男性に限らず、日々無実の人々がいわれのない罪で殴られているのが我々の生きる社会なのである。

弱者男性原罪論の被害者はもちろん罪のない弱者男性たちであるが、他にもこの理論の実害を受けている者がいる。それが弱者男性を叩いている女性たちである

誰かのせいにすることがくせになってしまった人間は成長することが難しくなってしまい、今ある苦境や問題から逃れられなくなってしまう。弱者男性に全ての罪を被せている人々は、気が付かないうちに人生の問題を解決する力を失っていくのである。

毒親に怒りながら実家を出ない子供部屋中年配偶者に日々愚痴を言い続ける妻ろくな相手がいないと憤る婚活女子職場の不満を垂れ流しながら転職できないサラリーマン

寝たきり老人がどんどん歩けなくなり弱ってい行くのと同じように、誰かのせいにしている人ほどどんどん努力する力を失って自立できなくなっていくのだ。

他責に染まってくると、口を出る言葉は愚痴っぽくなり、思考は後ろ向きになり、常にストレスをはけ口を探してイライラする日々を送るハメになる。他責はその人の人生を一時的には楽にはしてくれるが、徐々に狂わせていく麻薬のような思想なのだ。

他責性は誰しもが持っているものであり、全くないのも健全とは言えない。他責性を排除し過ぎれば、過度な自責性に囚われてしまい、他人のミスまで自分の責任のように感じストレスを抱えてしまう

不機嫌な人間がいたとして、その原因が自分にあるのではないか?と感じて不安になってしまう人は自責が強すぎるのかもしれない。他責と自責のバランスをいかにうまく取れるかが、人生の階段をまっすぐに登っていくためには非常に大切なのだ。

ではこの自責性と他責性のバランスが崩れたときに、どのように中庸な状態に戻せばよいのであろうか?また今自分が偏っているかどうかをチェックするためにはどのようなポイントを見ればよいのであろうか?

最も有効な手段が……

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