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本当の弱者男性とは誰か?

11月19日は国際男性デーという男性の幸福や辛さについて目を向ける日だったはずなのだが、ツイッターではいつも通り弱者男性をサンドバッグにするツイートとそれらに反発する男性陣のツイートがたくさん流れてきて思わず笑ってしまった。国際男性デーでもツイッターは平常運転である。

今回に限らず、ツイッターでは弱者男性についての話題が尽きず、毎日のように弱者男性に関する熱い議論が交わされている。しかし弱者男性の定義については曖昧だ。果たして弱者男性と、そうではない男性の線引きは一体どこにあるのであろうか?

ツイッターを始めてすぐに上記のような疑問を感じたことがきっかけで、下記の図を作成したところ、多くの反応を頂くことができた。今日のnoteは本当の”弱者男性”とは一体何者なのかについて書いてみようと思う。

結論から言うと本物の弱者男性とは、人的資本、社会的資本、文化的資本、遺伝的資本から拒絶され隔絶された男性のことである。友人や彼女、家族に恵まれず、学歴や職歴もなく収入は不安定、多様な趣味や価値観を学ぶ機会にも恵まれず、体力や健康面で遺伝的なマイナスを抱えている。そんな男性が本物のガチ弱者男性なのだ。

そして恐ろしいことに本当の弱者男性は社会だけではなく、陰キャのためのSNSツイッターですら不可視化され透明化されている。本当の弱者男性はツイッターにたどり着くことすら出来ていない。数は少ないが何とかツイッターに潜り込めた弱者男性もいるが、生活保護や障害者年金、家族のサポートなどさまざまな福祉を受けながら作業所で働き、何とか社会参画しようと必死に生きている彼らの悲痛なツイートは、頭が良かったり趣味や人生経験に恵まれた非モテ男性たちのウィットに富んだ面白ツイートに埋もれてしまい、ツイッターの中でも周知されることは少ない。あまりに凄惨な人生の送る弱者男性の声は救いがなさすぎて笑えないのだ。

ツイッターで良く非モテ男性=弱者男性という意味でつかわれることがあるが、これは明らかな誤りである。例えば高学歴でホワイトカラーの職種に勤務、高年収だが女性に縁がなく素人童貞のアサラー男性がいたとする。彼は間違いなく非モテ男性ではあろうが、決して弱者男性とは言えない。なぜなら彼には十分なお金と社会的地位があるからだ。

ツイッターではモテをあまりに重要視するあまり、非モテならだれもかれも弱者男性!と認定してしまいがちな風潮があるが、冷静になって考えてみて欲しい。どう考えてもモテよりも安定した仕事や給与、頼りになる太い実家、健康な身体のほうが人生の幸福には重要である。

モテまくってても家族や仕事に恵まれずに苦しんでいる男性何ていくらでも見て来たし、逆に持てなくても仕事や趣味に恵まれ幸せそうな男性も沢山いる。モテは人生において重要なことではなるが、決してマストなものではないのだ。モテたところで人生の問題がすべて解決するなんてことはないのだ。ツイッターを見てみて欲しい。結婚し妻子に恵まれた男も、モテるであろうイケメンの男もみんな愚痴を吐いている。どう足掻いたところで人生の問題が綺麗さっぱりなくなることはない。モテを過大評価するのは誤りである。

では最も男の人生で重要なこととは何だろうか?

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