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海の向こうの公園で その2

公園でふと、いま、ミサイル攻撃がきたら赤子を連れてどこにに逃げれば良いのか…と、考えてしまった。地元住みの日本人のママ友の多いお嫁さんは『大丈夫』と微笑むが、おばあは安心できない。ただ、外国の大使館もあるテルアビブは、精度の良いアイアンドームという迎撃システムが守っているため、爆撃の被害は少ない。(ゼロではない)

そして、室内でもミサイルアラートのあと、迎撃した衝撃波を感じるそうだ。

その話を聞きながら、お嫁さんから『体験してみたいと思いますよね』と言われてハッとした。自分の浅ましい野次馬根性に……。心から申し訳ないと思った。

雨季の緑と日差し

体験することが全てではないし、その1で働きにくればいいと暴言を吐いた非礼をお詫びしたい。

どだい二つの民族の痛みを知る当事者になりたいなどとは思い上がりも甚だしいことだ。もちろんそんな大それたことは思わない。戦争の反対は平和ではないとわたしは思う。(後述※)今、息子夫婦と孫とここにいることが奇跡なのだと感謝したい。

だからどんなに公園が人で溢れていても、そこに住む人たちの悲しみや緊張を本当の意味では理解できない私は、だだのパッセンジャー。よきサマリア人にはなれそうもない。

黒づくめの人も多い


ウクライナの戦い方をみても、台湾の総統選の中国の干渉をみても、いまは情報操作がうまくいったほうに、勝利の女神が微笑む時代。

ホロコーストがあるから、他の民族を浄化しようとしているという考え方を持つ人がたくさんXで呟いている。また、アンチでなくても、どちらにも加担しないという人が大半かもしれない。

ただ、どっちもどっちなどと言ってられるのは、平和ボケしている今しかできない。

日本の報道から伝わって来るのは残念で的外れなものも多いが、少なくともネットに翻弄されてはいられない。政府とマスコミがただしく機能して、もしもの時に備えて欲しい。

でも、もしどちらが正しいか、議論するなら、明け方に冷たく固いパンを熱いミルクに浸して食べてみて欲しい。何かの支配から脱し、日常をできるだけ取り戻そうとするそれぞれの国民の気持ちになれるかもしれないから。。。。。

※ 昔読んで今は読まなくなったある人の本に『戦争の反対は平和じゃない、交渉だ。交渉がつきたとき、戦争が始まる』というのがあった。最初それを読んで目から鱗だった

しかし、今に照らせば、テロに対する交渉などない。その場合、海の向こうで始まったのは戦争ではなく、ただただテロリストとの戦いだ。そこには正義の入り込む余地はないかもしれない。

そんな、答えのないものに私たちは対峙していることを理解したい。

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