恋愛・贅沢は、暇産業なのか?
どうもポンコツです。
先日、友人から言われて言葉。
恋愛や贅沢は、暇産業だから。
この言葉の真意について考えてみたいと思う。
そもそもカッコよく言っていたけど、暇産業って何?笑
そんな言葉あったけ。
まぁ友達だから言いたい事は、だいたい分かる。暇がある人の市場だ。という事だと思う。
※そういう過程で話しは進めます。
よく恋愛や贅沢は、人間の本質的な欲求だーという人がいる。
僕もどちらかというとそちら派だ。
だけども矛盾点も沢山ある。
恋愛や贅沢に興味を持たない人が一定数いる事だ。それも最近は、どんどん増えているらしい。
人間の本質的な欲求なのなら彼らは、どこか変異した新人類なのか、欠落した人間だという事になる。
そう考えると少し違う気がしてきた。
じゃあ恋愛や贅沢の欲求は、どこから生まれるのか。
教育、環境、時間?
友人がいうには、時間じゃないかという事。
これには、少し心当たりがある。
それは、僕が尊敬するキングコングの西野亮廣という男。
恋愛、贅沢に興味を示さない典型的な人間だ。
ただ彼は、かなりの変人でどこか欠落しているようにも見える。(でも大好きです。)
もしかしたら例えに出すには、間違っているかもしれない。
彼は、本当に恋愛・贅沢に興味がない。
というか、そこに興味を示す時間がないのではと思っている。
エンタメで世界を獲る事に本気で取り組み、頭の中は、それでいっぱいなんだと思う。
でも彼は、性には貪欲だ。
公の場でも恥ずかしげもなく性の話しをしている。
それでも恋愛には、興味はなさげだ。
今回の話しとは逸れるが、
性欲=恋愛
この方程式も違うようだ。
彼だけでなく、貪欲に何かに取り組む企業家や経営者には、同じような感覚を感じる事がある。
特に20代、30代の若い世代だ。
終身雇用が崩壊し、好きを仕事に、新しく時代を作っている世代だ。
0→1の作業だから、
時間も脳もかなりの浪費だろう。
1→100にしてきた時代とは違い。
彼らには、時間がないのだ。
そう考えると友人の言葉には、妙な説得力がでてきた。
恋愛・贅沢は、時間から生まれる欲求。
時間がある=暇なのだと。
これがもし正当な方程式ならば、
結婚率、消費率は当面回復しないだろう。
そこの欲求に向ける時間がないのだから。
それじゃ、また!
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