勉強は楽しいものである

皆さん、お久しぶりです。研究に忙殺されているぽんです。

今日は皆さんに勉強という行為について最近僕が考えている事をお話ししたいと思います。

①『勉強=楽しい?』を考え出したきっかけ

僕には長年かなり真意を理解できなかった言葉があるんです。
それはお父さんの、

俺は勉強が好きだからなあ

という発言でした。
なぜ勉強が好きなのか。なぜそんな事を言って休日も机に向かうのかずっと不思議でした。絶対にゲームしたり、遊んだり、ダラダラした方がいいのになと思っていました。おこがましくも、勝手に自分の方が社交的だと思い、『お父さんと俺は違う』と思っていました。

②ファッションとしての勉強

僕はそんな(今になってこそわかる偉大な)父親を持っていたため、見た目も性格も真逆であるのに関わらず、かなり勉強をしました。人生は勉強するものだと思っていました。

公文に2歳から通い、小学校の1年生〜3年生まではアメリカに住んでいたため、その期間では常に英語の課題に追われ、日本に帰国してからは親に強制されたわけではないですが、中学受験がしたいと言い出し、(快く受け入れてくれた親に感謝しかありません)4年生〜6年生まで平日は5時間、休日は12時間くらい勉強し、中学生になってから大学生になるまで、大変な浪人期も経て京都大学に合格する程度には、勉強に時間を費やしてきました。

(何でもできる星野源さん)

ただ僕にとって勉強はファッションでした。

”ゲーム、漫画、服、スポーツが好きで、それにプラスアルファで勉強ができたら最強じゃね?”

というなんともカッコだけつけた、芯の無い、ステータスを得る事を目的とした勉強をしていました。

そうして大学受験を終え、京都大学に入ってからアルバイトで塾のチューターをやっていたのですが、

なぜそんなに勉強するんですか?勉強しなくても良くないですか?

と言われる事がありました。

大学受験を終え、かなりの時間を勉強に捧げた後だったので、自分の中で何となく勉強というものはファッション、名誉のためにするだけでなく、人生を豊かにしてくれるものとぼんやりと実感していたのですが、

うまく答える事ができず、勉強のやる気がまったく出ない生徒に対して、勇気付けることができないという事が1度や2度以上にあった事を今でも覚えています。

③『勉強する事』を知るヒント

僕にとって、『勉強が楽しいものである』という発言の真意に近づくヒントをくれたのは、大学1、2回生の勉強をしない時間でした。

大学に受かり、親を喜ばすことも自分を満足させる事もでき、人生の目標を達成しきった僕はひたすら勉強から逃げていました。というよりも浪人中のしんどい思いが抜けきれず、勉強する事を拒んでいました。

自分の知らない大人の世界、勉強をしない生活を知りたいと遊びまくり、単位を落としまくっていました。

バイトして、彼女もしくは友達と遊んで寝るという日々をひたすら繰り返しました。

楽しかったです。自分にとってその生活は新しい生活でした。

ただ、今思えば、ずっと心が癒される事をしていたのに関わらず、心にこびりついた虚無感が、ずっと、邪魔をしていました。

楽しさの中に不安と倦怠が混じり合った感情を常に感じていたと言った方がわかりやすいかも知れません。

勉強する事は実は自分の人生の豊かさに大きく関わって来ているのではないか…?と思ったのはこの時期です。

④僕にとって『勉強する事』とは

あくまで僕自身の主観です。ただ、読者の方にも何か伝える事が出来るのではないかと思い、ここnoteに書きます。

(多ジャンルにわたって活躍されている常田大希さん)

僕にとって今、『勉強する事≒人生を豊かにする行為』です。だから今、勉強が好きだと胸を張って言えます。これは大学に入ってから自分の性格や何故自分は生きているのか、なんのために生きているのか、いつ幸せと感じるのかということを考えた結果導き出した答えです。

なぜ、勉強する事が好きなのか。

それは、勉強した事から身についた知識が自分が楽しいと思える瞬間や、感動する瞬間や、面白いと思う瞬間や、他人と通じ合える幸福感や世界の美しい心理など挙げるとキリが無いほどそういった素敵な機会を増やしてくれるからなのです。

勉強は世界中に自分の幸せや興奮や驚きや感動などの心の変化を起こさせてくれる種をたっくさん植えるような行為なのです

ただ、効果をすぐに全て享受する事ができません。だから皆さんは勉強が嫌いなのだと思います(昔の自分も含めて)。

どの知識が、どの素晴らしい機会を導いてくれたのかという事を点と点で結ぶ事がかなり難しいんだと思います。ただ、具体的に読者の方々にはその恩恵を知っていただきたいので例をあげたいと思います。

例えば英語です。英語は自分の世界を急速に広げてくれます。目の前にある単語帳を覚えるという行為は、全く持ってその知識が使う機会がなければ、楽しいものではありません。苦痛です。

でも実はその単語を一語一語覚えている裏では、自分と楽しく会話できる人間が急激に増えていますし、アメリカやイギリスといった場所の、日本人の多くが知らない素敵な場所、美しい景色、スイーツ、服、考え、発明、に出会える確率が急激に増加しています。そこで得た経験を披露しても恩恵を受ける事ができます。

勿論これだけではありません。勉強は人間には直感的に分からないほど驚くほど恩恵を得る事ができる機会を増やしてくれます。

数学は工学的なもの全ての基礎にあるため、数学を勉強していない他人と同じものを見た時に比べて興奮を与えてくれたり、

物理や化学は物質の運動の原理や世界の神秘を実感させてくれたり、

芸術・宗教、そして恋愛観、人生観などといった哲学は…

もう説明しなくても恩恵を受け取った場面は数えきれない事は分かっていただけるでしょう。

違う分野の知識が時に噛み合う時に大きな感動があったり、共通の知識を熱く語って永遠の友になったり、そんな素敵な機会を作ってくれるのは自分の机の上での目的の分からない勉強だったりする事だってあるんだと思います。

また、勉強は、自分の生まれた生を肯定してくれる気もします。

何故人間は生きているんだろう。何故僕は生きなくてはならないのだろう。人生は所詮死ぬまでの暇つぶし。と言った答えのない問いに、『人生は楽しかったから生きていてよかった』と言える核の部分を勉強は担ってくれている気がするのです。

受け身ではなく、能動的に人生を豊かにする姿勢の根源は勉強なのではないかと強く感じています

⑤終わりに

勉強が好きですといいましたが、勉強している瞬間は好きな時と嫌いな時があります。没頭して時間を忘れる時もある一方、僕にとっての英語のように、勉強している瞬間は楽しくないが享受できるものが最高に好きだと言った種類の勉強があります。



勉強する事は僕たち人間にとって切っても切れない関係にありますよね…。
別に勉強しない方が幸せな人もたくさんいるとは思うので全くもって勉強する事を強要するつもりは一切ありません。これは本当に僕の考え方を提示したまでです。
何か皆さんに共通する部分やメリットが一つでもあればいいなという想いで綴りました。
何かしら良い影響を与える事ができましたら嬉しいです。



それでは

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