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エスケープ

逃げなければ、この辛い現実から。
そう思った、そうとしか思えなかった私は部屋を必死に漁った。
床に散乱した荷物、PC や教科書でごった返す机、乱雑に本が入れられた本棚。全てをひっくり返すように私は漁った。
何のために?それは薬を探すために。
薬が必要なのだ。たくさんの。
たくさんの錠剤を流し込めば私はきっとこの黒くざらついた世界から離れることができる。
私は逃げることができる。
良いのだ、その逃亡劇がたとえ一瞬だったとしても。

探し当てた薬たちを目の前に置いた。

とにかく私は逃げなければならなかった。
私を守るために。私が生きるために。
こうやって薬をたくさん飲むことをOD(オーバードーズ)と言うらしい。
でもそんな名称なんてどうでもいい。
私は自己防衛のためにこれからこの薬たちを流し込むのだ。
何一つ悪くない。
ロープを持ち出さなかっただけ偉いくらいだ。

私は薬を手に出し一気に口に放り込む。

しばらくして自我の輪郭がぼやけてきた。
先程の切迫した気持ちが嘘のように気持ちが楽になった。
何かを考えようとしても何も考えられない。
ただひたすらぼやけた世界を俯瞰するしかできない。
でも気持ちが良い。幸せだ。辛いこと悲しいこと憤ったこと全てから開放される感覚。
疲れたんだ、このザラついた世界で生きることに。
だからしばしの休憩だ。
そしてふんわりとした感覚に身を任せる。

しばし時間が経つ。

先程までのふわふわとした感覚は無くなっていて、私にはザラついた現実と薬の空殻が残っていた。
「逃げられなかったのね」私の心の中で誰かが言う。
この現状が受け入れられなくて私は涙を流す。
こんな世界じゃやっていけない。もう私には無理だ。
「もう一回飲もうよ、そしたらまた楽になれるよ」心のなかで誰かが囁く。
そんなことをしても意味がないことは分かっている。
結局その場しのぎなのだ。
分かってる、痛いほど分かっている。
今まで「また楽になるために」を尊重してどんどん薬を追加した夜が何度もある。しかし待っていたのは何も変わらない現実、もっとひどくなった現実だけだった。
でも私は薬に手を伸ばさずにはいられない。救いが欲しかった。それがどんなに脆いものだったとしても。

再び薬を流し込む。

ふわふわ気持ちが良い。永遠にこれが続けばいいのに。
そう心のなかで願う。

しかし時間は無残にも過ぎていく。

誘惑に負け続けた私に最後に残ったのは薬の空殻と空っぽな自分だけだった。
不毛だな。本当に不毛だな。
滑稽だな。本当に滑稽だな。
馬鹿だな。本当に馬鹿だな。

でもね、私にはこれしか分からないの。
分からないの。分からないの。分からないの。

深夜3時、冬の気配を感じる夜の出来事であった。



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