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鞘を捨てて強くなれたなら

私はどこまでいっても強くなれない。
それは私が甘いからだ。

私はよく人に優しいと言われる。
しかし私は優しくなんてない。
甘いだけなのだ。
相手の思うように動いて相手の機嫌をとってそれで満足する、それは優しさなんかではなくて甘いだけだ。
人にいいように見られようと”優しそう”という仮面を被って他人にも自分にも甘くしているだけなのだ。

”甘い”と”優しい”は大きく異る。
”甘い”のは端的に言えば甘えだ。ただ優しさに酷似したただただひたすらに相手にとって自分にとって心地よいものを言い渡したり行動したりするだけ。この言動や行動によって誰も救われることはない。だってこの優しさに酷似したものはあくまで自己満足の塊だからだ。
”優しい”は時に厳しい面を内包する。単に優しい言葉を投げるだけではなく相手のことを想い時にキツイことを言い渡したり行動したりする。
それには覚悟がいる。
相手に対してキツくあたれる覚悟というものが必要なのだ。

しかし私は誰に対しても優しくなれない。
それは私に覚悟がないからだ。
”あなたは優しい人”と言われるために他者に”優しさ”に酷似したものを配っては”優しいね、ありがとう”と言われるために私は”優しい”という皮を被っている。
冒頭でも述べたように私は単に甘いだけなのだ。
自分も相手も痛みを知らないように他者に甘くする。
私は痛みを背負うことから逃げ続けた。
それは自分にとってとても怖いことだから。
自分はただひたすらに”優しい”という存在になりたかったから。

一方本来優しさは厳しさを伴うものだ。
だから私がやっていることは言うなれば偽善に過ぎない。
自己満足にしか過ぎない。

だから私は剣の鞘を抜いて強くなりたいのだ。
時にその切っ先を相手の喉元に突きつけられるような覚悟を持って、それでいて”優しい人”になりたい。

でも私は剣の鞘さえ抜くことができない。
剣を突きつけることさえできない。
いつまでもその切っ先を鞘にしまって丸腰のままだ。
切っ先を相手に向ける、そんな勇気は私にはない。
怖いのだ。その切っ先が相手を怖がらせ傷つけてしまうことが。
故に永遠に優しい人になれずにただの甘い人としているしかないのだ。

私は弱い。
相手にも自分にも厳しくなることができない。
しかしながら強くなりたい。
ただひたすらに甘くすることで自己満足を得ることしかできない。なんて滑稽なことだろう。
悲しいね、でも涙すら出ない。
自分に甘いから自分を追い詰めることさえできない。

いつの日か鞘を捨てて強くなれる日が来るのだろうか。
私はそんな夢を見て甘い甘い眠りにつく。


私の文章、朗読、なにか響くものがございましたらよろしくお願いします。