温泉で考えた″自然″について

昨日はスパに1日いました。温泉に入り放題で、休み処のリクライニングチェアは座り心地、寝心地ともに快適でなんと1500円!

スパに行ったのは家の排水溝が詰まっていてシャワーができないし、近所の銭湯も閉店していて体を洗えないというネガティブな理由からですが、とても良い時間を過ごせました。

ところで温泉って素晴らしいなと改めて強く思いました。湯に浸かるのが気持ちいいのは当たり前なのですが、考え事ができるという点は重要です。

温泉は持ち物を持ち込めませんから、文字通り素っ裸なわけです。するとやることがないので、自然とあれこれ考え出します。忙しない日常で漠然と考えていたことについて集中して考えることができる機会になります。

僕は裸体の人々が行き交う様子を見ながら原初の人間について考えてました。我々は自然との対立構造のもとで作り上げた文明の中で生活し、それが当たり前だと思っています。服は着るし、パソコンやスマホを使うし、本を読むし、テレビは見るし、ほとんど脳が作り出した人工物の中に生きています。ただ温泉の中には人工的に設置された時計や湯を除けば、基本的にはありのままの人間の姿しかありません。

奇遇にもこの思考をより掻き立てるように、温泉には木々が設置されていました。ここを歩く裸の人々を眺めていれば未開のジャングルに生活する原初の人間の姿を思わずにはいられません。

都会に住む人が「よく田舎に行きたい」と話すのはよくあることですが、これは人間の原初に立ち帰りたいという根源的欲求を示しているのではないかと思います。つまり、自然に帰りたいという欲求です。花を美しいと思うのも、人間が自然的存在だということを表しているのではないでしょうか。突き詰めれば自然と一になりたいという欲求。

人間が文明を築き上げてきたのはここ1万年とかでしょうか。中国4000年の歴史、約3000年前に書かれたギルガメシュ叙事詩も数百万年の人類史の中では米粒にも及びません。この膨大な期間を自然の中で過ごしてきた人間がそれと切り離された生活を余儀なくされたのはつい最近のことで、無理を感じるのは当然です。

物質主義を否定し、人間の精神に重きを置き自然への回帰を促す聖書、仏教等々の教えあるいは近年流行っているマインドフルネスはつまるところココを目指しているようにも見えます。

長くなりましたが、温泉でこんなことを考えていました。ではでは✋

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