読書は無知に気づくこと

何かを知れば知るほど、自分の無知を知る。本を読めば知識や思考が積み重なっていくけど、それ以上に自分が何も知らないことに気がつく。わざわざ本を読んで自分のやるせなさを痛感しているわけだ。

じゃあなんで本を読むのか…!?僕の現段階の答えとしてはその「自分の無知を自覚すること」に意味があると思う。正直、読書を始めた当初は「自分は〇〇を知っていて周りより優れている」という傲慢があった。しかし、こう思ってしまうと知の探求はそこで終わってしまう。大学に合格した受験生が傲慢になって以後の大学生活で全く勉強しないのと似ているかも。無知を自覚することから知の探求は始まる。有名なソクラテスの「無知の自覚」はこういうことを意味しているのだろうか。

ただその段階を越えると徐々に「知っている世界」よりも広大に広がる「知らない世界」に気がつくようになる。そこには傲慢さが全くなく、謙虚さが滲み出てくる。知の巨人の前にいる卑小な自分を客観視することができる。

要するに僕にとっての読書は自分の無知を自覚させ、傲慢さを叱責する手段なのだ。ドMですね、、

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