『ゴッホの手紙』を読んでみて

みんな知っている画家ゴッホ。彼は無数の手紙を書いていてゴッホという人を知る貴重な資料になっている。本音を見せてくれないモーツァルトの手紙とは違って、ゴッホは正直につらつら語ってくれる。(例に漏れず小林秀雄『モオツアルト』『ゴッホの手紙』を参考に)

『ゴッホの手紙』では実際の手紙が多数引用されており、その概要を掴むことができる。それを読んでいて特に僕が感じたことを、ゴッホは画家であると同時に詩人や哲学者など様々な顔をのぞかせる。また小林秀雄は「告白文学の傑作」と評し、文学者としての顔も垣間見える。

例えば

「人生とは、実に呆れ返った実在だ。僕等はみんな、こいつに向って、何処までも追い立てられる。物事は、あるが儘にある。陰気に考えようと陽気に考えようと、物事の性質は変りはしない」

という文章からは哲学者としての顔が。

「タラスコンとかルーアンに行くのに汽車に乗るなら、星に行くには死に乗ればよいではないか。(中略)コレラとか腎臓病とか肺病とか癌とかいうものは、汽車やバスが地上の移動手段である様に、天空の旅行手段と考えていい」

という文章からは形式こそ欠けているものの、詩人としての顔が垣間見える。

そのため、この手紙は単純に彼の生活を知らせるツールだけではなく、一つの作品でもある。そういう意外な発見をした。

さらに手紙を読んでいくとゴッホは発作を起こす病と常に闘っていたことが分かる。また自分自身とも闘って闘って、常に新しい自分を模索していた。ゴッホの作品はそういう病と自分自身との闘いの緊張関係から生まれ出でたものだということを思い知らされる。

彼の作品は手紙なしに理解できるものではないと小林秀雄は警鐘を鳴らすが、その意味がよく分かる。ゴッホの手紙の引用部分だけではなく、本文を実際に読んでみないとなぁー。

もしよろしければサポートお願いします〜 (書籍購入代に充当させていただきます。)