『バーンスタイン わが音楽的人生』感想

バーンスタインが時に詩的に、時に情熱的に、時に明晰に紡ぐ言葉に何度心を打たれたか…。音楽に限らず哲学、芸術論、エッセイ、詩、など幅広く思索を巡らせている上に造形が深い。このようにテーマは多岐にわたっていながらも、「人類愛の実現への希望」という一つの大きなテーマが垣間見える。

大学でのスピーチの文字起こしに顕著だが、彼が若者に託す言葉には希望が溢れている。その希望は、われわれに欠けている「想像」によって支えられている。「想像」なくして真実はあり得ないし、また美もあり得ない。つまり、それらを表現する芸術は「想像」ありきということ。

では、彼は芸術をどう捉えているのか。それがこの一節だ。

「私は、人間の無意識を、意思を通い合わせ愛する力の深い源泉を信じて いる。私にとっては、すべての芸術はこれらの力の結合であり、無意識の 段階で創造する側と理解する側とに接点が生まれなければ、私には何の意 味もない。言うならば、愛とは最も深いところで個人的に意思を通い合わ せる手段である。芸術にできることは、この意思疎通を広げ、拡大し、幅 広くより多くの人たちに届けることである。この点で、芸術には温かい核、 熱を伝える秘めたる要素が必要である。その核がなければ、芸術は単なる 技巧の練習課題か、芸術家への注目の呼び掛け、あるいは虚しい展示品に すぎない。私は、その内部に帯びた温かみと愛ゆえに、芸術を信じている。」

この芸術観の背後には彼のユダヤ人としてのバックグラウンドがあるのだろう。ナチの大量虐殺を筆頭にWWⅡ時は世界の人々を断絶に導き、「愛」とは隔絶された惨状をもたらした。バーンスタインは、芸術はその暗黒時代に煌々たる明かりをもたらすものだと考えたのだろう。

彼はこんなことを言っている。

「経済学者たちがつまらない言い争いをしているところで、私たちは明晰になれる。政治家が外交ゲームを演じているところで、私たちは心も理性も感動させることができる。() 神秘と合理を調和させることができるのは、そして人類の心に神の存在を示し続けることができるのは、ただ芸術家だけなのです。」

僕は芸術に「合理」など不要だと思っていたが、「神秘と合理」を結びつけるのが芸術だとするバーンスタインの言葉にはハッとさせられた。そう、片方を肯定することはもう片方を否定するので、そこに「愛」は成立しない。芸術が「愛」を前提とする以上、両者を調和させるしかない。そういう「愛」があれば軋轢は生じないし、芸術は暗黒時代に一石を投じる力を持つということになる。

このように、芸術がいかに愛に溢れた世界を創るか、そしてわれわれ一人一人がいかにそれを実現するかを鼓舞してくれる素晴らしい一冊!

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