今更だけどジャズベの良さにビビる。ベース選びで迷ったらやっぱこれ。
■弾けば弾くほど分かるジャズベの魅力
いやほんと、何なんでしょうねこれ?
ジャズベを知れば知るほど、弾けば弾くほど、
「何でこんないいの!?」
芯からびびらされます。
アンチ王道だった、わたくしポング。
ジャズベは本当、憎悪するぐらいのレベルで拒絶してました。
そんな過去の自分、ジャズベを嫌悪してた点を挙げてみますと、
①人と同じは嫌だ!
②でかい楽器は使いにくい!
③パッシブとか時代遅れ!
こんな風に叩いて、
「絶対弾かねぇ!」
と息巻いてました。
大袈裟ではなく、
「個性からは程遠い楽器!」
「弾き手の事なんか全然考えてない!」
「機能から何から時代遅れで弱すぎる!」
こんな認識をしてたと思います。
それがま~、全部ひっくり返ってしまったっていうね。
ジャズベってほんと恐ろしい楽器、その良さを知り、魅せられてしまった結果、
「好きなジャズベ一本あればもうそれでよくね?」
頭の中、そんな事になってます。
実際、それで全然困らない、全く問題ない気がしちゃうんですよね~。
ま~~~、ジャズベって本気ですげぇ楽器だ、使えすぎんなこれと。
これまでもジャズベについて語ってきましたが、 今回もまたその魅力、実力について、歯ぎしりしながら語っていきたい次第です。
【1.】人と同じは嫌だ!→もはや文化と概念?
「同じ楽器なんか使いたくない!」
なんて理由から、プレベやジャズベなど王道を避けていた自分。
今でも正直その気持ちは残ってますし、いざメインにするにはどこか抵抗がある、悔しい気持ちがあるのも本音。
一方、もはや人類規模で愛されているであろう楽器。それだけの実用性、機能も証明されてきた存在。
それを否定するのは非常に難しい、かなりの無理筋であるのを散々痛感してきました。
例えばの話、
「なんでピアニストはピアノを弾くんだ!みんな同じような形のピアノ弾いて楽しいのか!?個性とか無いのかよ!?プライドとかさぁ!?」
なんて言われてもまぁ、難癖ってモンですよね。
発想としては面白いし、本気で常識を打ち破ろうとするなら、大事な姿勢かもしれません。
しかしま~、さすがに幼稚すぎる捻くれと申しますか、あまりにズレてる印象を受けて当然、違和感バリバリな主張に思えます。
「バイオリンはもっと形を変えろ!丸い太鼓なんてつまらん!管楽器の見た目を根底から変えろ!どれも使えん!時代遅れだ」
何と申しますか、言ってて虚しくなるものすらあります。
結局のところ、
「ジャズベはジャズベ!」
どんなに否定しようがもうすでに、文化として根付いてしまってます。
浸透率と言いますか、そこから見ればプレベすら超えるであろう、まさにエレクトリックベースの基本形。
その実用性、機能性、否定しようにも、歴史が証明済み。
それを弾きたいなら、それを弾くしかない。
違う形になれば、違う楽器になるだけ。
ジャズベのサウンド、音楽的機能を求めているのに、遠回りして悩むのはおかしな話。
全く異なる変化球、別物が使いやすいかどうか、何とも微妙な事が多いのも現実。
ベースを30年近く弾いてきた実感痛感、
「俺はジャズベの音が好きだったんだ….」
これに気付いたらもうほんと、無理しない方が良いです。
自分の音に悩んだら、やってる事に迷いがあったら、機材選びにウンザリしてきたら、絶対一度は手を出してみるべき楽器だと断言できます。
ジャズベが好きな潜在的素質を持っているなら、変に捻くれず、曲がらず、素直にそれそのものを弾くのが正解。
極論かそれとも事実そのものか?
【エレクトリックベース=ジャズベ】
これを否定しきれない、とんでもない楽器だと言えます。
人と同じがどうとか、真似したくないだの、そんな価値観が通用しない問答無用のキングと言ってもいいジャズベ。
安易な個性付け、安い主張など通用しない、恐るべきポテンシャルを持っています。
【2.】デカい楽器とか使い難いだろ?→ジャズベは弾きやすかった!
凝ったスペック、変わった形のベースでありがちな違和感。
「体にフィットしない….」
ハイエンドな物でも油断できない、人間工学がどうとか売り文句も全然アテになりません。
ルックス優先、コンセプト倒れ、弾き手に気が利いてないボディシェイプって辛い。
「ジャズベはもう古い楽器だ!現代に適してない!」って言ってたのが、実際弾いてみるともう、これがビックリするぐらい扱いやすい。
「古臭い設計で気が利いてない!」
じゃなくてあれ?自然とフィットするぞ?
「大きいから弾きにくい!」
はずが大きいから安定するぞ?
「日本人向きじゃない!」
どころか人類向きじゃねこれ?
レオフェンダーのこだわりなのか、プレイヤーの声や現場のそれを取り入れてきた証明か、妙ちくりんにこねくり回したシェイプよりよっぽど疲労なく済みます。
一見は良さげかと思うコンパクトな楽器、ところが弾き続けてると、かえって疲れる印象を覚えたりするのが何とも悲しい。
ボディが小さすぎて逆に安定しない・・・
フィットするかと思いきやすぐズレる・・・
出音も弾き心地も違和感ばかり・・・
そんなアンバランスさを無理やりにどうにかしなければならない、必要ないストレスを抱えるのは実に本末転倒、皮肉で悲しい。
ナット幅を控えめにしてるのもジャズベの特徴。
手が小さいと悩むならスマートなジャズベは実に直球。
気が利かないどころか至れり尽くせり?
演奏性について必要十分に考えられてるのは間違いありません。
気になる事があるとすればヘッド落ちですが、最近では軽量なペグも増えてますし、互換パーツが多い分、選択肢が豊富で対策も容易。
本家でも現代的アレンジがされているモデルの場合、コンパクトなペグを採用してたり、対策されてるのがもはや当たり前。
そもそもを言えば、その辺のバランス取りが上手くされてる為、フォームと力の入れ方が整ってれば、軽量パーツを使わずともヘッド落ちとか気にならなくなるのも本当のところ。
弾き手に気を使わないどころか、ちゃんと見てる、聞いてるんだなってのが分かるのがジャズベ。
安易に楽を狙った楽器とは一味も二味も違う、と言うか、次元が違うなって脱帽。
でまぁ本当に根本的な問題、
「音の精神的ストレスが減る!」
自分的にはこれが最強に重要だとこれ以上なく実感してます。
ありがちな悩み、
音が抜けない….
音が混ざらない….
音に存在感がない….
こんな悩みを抱え続けたまま楽器を弾いていく、人生送っていくって結構な地獄。
そんな中でシンプルなジャズベを弾くと心底驚愕。
もう、面白いぐらい自然に音がハマっちゃう、存在感が出る、バンドで混ざる、抜けてくる、気持ちよく弾ける、その事実に頭やられます。
身体的なストレスを解消しようとするのも確かに大事。
だけど、正直言ってそれは慣れの問題ってのも大きい、それより何より多大な音的ストレスに悩まされる方が精神的にキツイ。
そこから解放されると本当、メッッッッッッチャクチャ、解放感味わえます。
「音が良ければ肉体も楽になる!」
これマジ実感して損ありません。
そもそも欲しい音が出ない・・・
なのに表面的な弾きやすさばかりを優先して実は疲れる楽器を使っている。何も満足感なくストレスを抱えている。自分を誤魔化し続ける。
そんな事に悩むぐらいだったら、素直に好きになれるジャズベ弾いた方が幸せになれます。自分らしく在れます。
【3.】パッシブとか時代遅れ!→この回路もう古いんじゃないか・・・
これもま~、私的に強烈な皮肉だったと申しますか、
「いつまでその回路使うの?」
どこが現代的やねんってツッコミ入れたくなる、全く好きにもなれなくなってしまった、アクティブの悲しさの一つ。
「あれだけ憧れた回路が今となっては・・・」みたいな事を20年も前にすでに経験しています。
昔は流行ったのかもしれないけど今更それはどうなのか?新感覚新機軸とはとても言えないんじゃないか?
どうにも疑問が湧いてきてしまいます。
「廃れない良さがある!」と言うのも分かります。
そこはやっぱり好みの問題。
古かろうが何だろうが、それが好きなら堂々使用すべき。
そう思うのも間違いありません。
一方、その「廃れない良さ」ってものについて考えた場合、
【パッシブのジャズベ】
これを超える物がどれだけあるのか?
これでもかとブン殴られてしまいそうです。
エフェクター、プリアンプは勿論、その他諸々、凄まじいぐらい充実してきてる現代。
そんな中、60年以上も前に登場。にもかかわらず、今日までずっと頂点として君臨してきた事実。その重さってとんでもありません。
だからこそ、先進的どころかもはや懐かしさすら覚えるような回路を搭載するという、それが新しいと言えるのかどうか?本当に現代的と呼べるのか?
自分としてはとてもそうは思えないのが正直なところ。
とんでもなく凄いキャラクターの内蔵プリアンプがあったとしても、それが長く生き残れるのか、本当に実用的なのか、何とも言えません。
だったら無理に内蔵するより外付けで使う方が無難?
そうなってしまった場合、内部で過剰な加工をする必要性を感じなくなるのも必然ですし、癖の強いプリアンプに最初から出音を作られてしまう、支配されてしまうのに抵抗を覚えるのも必然だと思います。
となると、アクティブにするにしてもシンプルなバッファを内蔵するぐらいが最も実用的か、無難な選択肢って事で落ち着きそうな気もします。
高性能なプリアンプを内蔵するにしても基本的にはまず、バッファ的な役割を求めるのが正解に思えてきます。
通すだけで音が変わってしまう・・・
余計な要素が付随してくる・・・
EQも結局は大して使わない・・・
そういう方がもうよっぽど時代遅れな印象あります。
も~のすごく幅広く使いたい、積極的にEQを使って音作りしたい、全部手元でコントロールしたいと言うのも分かるけれど、実際には困難な面も沢山あります。
完璧に全て使いこなせれば確かに武器になるけど、大抵の場合、選択肢が増えるほど迷いの原因になったり、 結局、シンプルな使い方に落ち着きたくなる、それを求めたくなるパターンが多いんじゃないかなって。
あれこれやった結果、
「パッシブで十分だった……」
「と言うかパッシブの方が良かった……」
「いやパッシブでいい!パッシブがいい!!」
こうなる可能性も決して低くないのが、パッシブジャズベの底無しな魅力とその実力。
元アンチジャズベ、アンチパッシブ人間としては非常~に悔しい話なんだけど、認めるしかない、受け入れた方が楽しいって実感。
時代遅れどうの言い出した場合、これも極論、そもそも楽器を弾くこと自体が時代遅れ、非効率極まりないと切られてしまうかもしれないのが今の世の中。
だからこそ、
「廃れない良さ!」
根本に響くその追求というのが、凄く大事なんじゃないかって思えてきます。
アナログ極まりないただのパッシブジャズベ。
でもそれ一本あればエレクトリックベースは十分にもなる、素晴らしい表現方法にも道具にもなってくれる、一生使える役立つ楽器になってくれる可能性もある、そのポテンシャルって本当に素晴らしい。
ジャズベ!!
心の底まで響く力があります。
【4.】入口にも結論にもなるポテンシャル
「いや別にジャズベでいいよ。」
「最終的にジャズベに辿り着いた!」
入口としても抜群。
結論としても納得。
実に様々な可能性があるのがジャズベの面白さ。
新たに手に入れた超お気に入りの5弦ジャズベを愛用してる私ですが、先日、65年製のジャズベを弾いて、ま~、ブッ飛ばされました。
何じゃこのパンチは!?
この許容入力は!?
このジャズベらしさは!?
読んで頂きありがとうございます。サポートして頂けると今後の力になります。