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不自然上等もエレクトリックベースの魅力と楽しさではないか。

【ピュア礼賛の疑問】


「この素晴らしい純粋さ!これこそが音楽だ!」みたいな感じのノリがどうも苦手だ。嫌いと言っても過言じゃない。

大体の場合、そこにエレクトリックベースの存在は必要ない印象が強い。

要するに「歌こそが最高の楽器!それだけで良い!」とか「アコギひとつで十分!弦一本だって良い!」みたいなやつ。打楽器を求めるにしても手拍子、その辺にある適当な物でOKってなノリ。

ベースしか弾けなかった、続かなかった人間としては、なんだかモヤついてしかたない。

自然発生的な音や衝動。そこに委ねたものを真の音楽と言うのであれば、エレクトリックベースの存在は非常にいびつだったり、不自然と言えるのかもしれない。それこそ「不要!」と無言で断罪されてる感もある。


分かりやすいメロディなど弾かず、ただシンプルにルートを鳴らすだけで気持ちいい・・・その意味不明さ、なかなか理解されないであろう快感と感覚。

電気的に増幅された異常な低音、バッキバキのアタックや高音なども含め、そのわけ分からん異物が大好きな人種がいるという、面白さと素晴らしさ。

そんなエレクトリックベースって楽器が大好きであり、もう27年弾いてきた。悪戦苦闘しながらもずっと長く楽しんできたと、堂々言える。


アコースティックでピュア、それは別に良い。その素晴らしさは当然、自分にも分かるし、その音に心から感動し、涙する事もある。

一方、自然が何より最高、動物的感覚が勝利する、本能的行動こそ至高みたいな、そういう方向性や賞賛にはやはり、どうにも抵抗を覚えてしまう。

人生経験が少ないからそう思うんだ、音楽への向き合い方が甘いから分からないんだ、頭で考えすぎて濁ってる証拠だ、色々言われてしまいそうなところだが、自分はとにかくベースを弾きたい人間だし、聴きたい人間である。

ベースが無い世界、ナチュラルを至上とするほど、疲れてもいない。悟りとも無縁だし、まだまだ楽しく未熟である。


【パッシブこそ最高とも思わない】


貧弱だった弾き方と音を打破すべく、タッチコントロールに目覚め、その向上に力を入れてきた自分。

「パッシブなんて時代遅れだ!」なんて認識、反骨心を持っていたが、スカスカなベースしか弾けず、多くの場でケチョンケチョンになってきた。

その苦い経験、それを変えていく楽しさと充実感を得たからこそ、タッチ、ピッキングを根本から鍛える術を伝えていきたいと考えている。


一方、ブーストなんて邪道、自分の手だけでやってこそ、ツマミはフラットこそみたいになってしまうのも、ちょっと違うかなと思っている。

ベース本体でブーストしまくり、ギリギリをコントロール、時にはエフェクターも駆使、楽器単体では出来ない事を実現、そういう難しさや楽しさも存在するのが、エレクトリックベースって楽器じゃないかと。


現実問題、何もしない方が遥かに良い音だったり、加工前の時点で基本が成立していなければ、後でどうにもならなくなってしまうなんてのも、散々実感してきた。

エフェクターを通そうが、プリアンプで加工しようが、コンプでまとめようが、元々が貧弱でそもそも増幅するものが無いのでは、どこまで行ってもスカスカなまま。

それがまさに、以前の自分。繰り返すようだが、散々な目に遭ってきた。


ただ、遠回りしたからこそ身に付いたもの、また違った形の楽しさの存在も知っている。それを見るに、あまりに素の音ばかりを持ち上げたり、そこだけを追求、至上として型にハマってしまうのは、何か違うなと。

「何も通さない純粋な状態こそが真の音!」なんて事を言い出してしまうと、エレクトリックベースの存在そのものに、矛盾が起きてくるような気もする。

これまた繰り返すようだが、捻くれた見方をすれば、そもそもがいびつな存在なわけだ。自然のそれだけでは出せない音を出す為に存在、楽器単体だけでは実現できない事をやるってのが基本、醍醐味。

そこで、アコースティック楽器の真似事、純粋さを気取ろうとするのも何かこう、違和感を覚えてしまう。

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