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いつも淋しいの起源


前回のブログで、両親の顔色を伺っていた
幼少期に軽く触れたのだけれど
当時26歳だった母にとって
私は初めて産んだ娘。
産まれた当初はそれはそれは
めちゃくちゃに可愛がってくれていたそうで、
『もうこの子1人さえいればいい』
そう思っていた程だったと
後に母から聞いたわたし。

わたしが猫可愛がりされてぬくぬくと
生活をしていた3年後に弟が産まれ、
そこからわたしの生き残りをかけた
サバイバル空気読み生活が始まるのだ。

私が記憶の中に残る
一番古い記憶は
母が出産後入院中の時に
今は亡き祖母宅に預けられていた事。

当時からわたしにとって祖母は
聖母のように優しく
大大大好きで
安心できる人だったわけだけれど、
当時3歳の私にはなぜ母がいないのか
いつ帰ってくるのか
ちっとも理解できてなかったかゆえ、
夕方になり日が沈みだすと
母のいない毎日に急激に淋しくなり、
胸が押しつぶされそうになっていた感覚を
今でも思い出せる。

祖母と毎日日課のお散歩で、
近所の川の鯉にお麩やらパン耳やらを
あげた帰り道の夕陽は、
今でも胸がキューっと切なくなる思い出として
記憶の片隅にある。

今思えば、
【なんだかいつも淋しい】という
わたし爆誕は
ここからが始まりで、
成仏させられないまま
大人になっていくのだった。


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