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イルカと水族館と動物園と命と食文化と正義と悪と残酷と

<おおざっぱな目次>
・WAZAによるJAZAへの警告
・日本のイルカ猟問題
・イルカを食べてはいけない(?)理由
・イルカにとっての幸せと水族館
・食のエゴと数の暴力
 ※否定的な記事ではないです。

WAZAによるJAZAへの警告

 JAZA(日本動物園水族館協会)とWAZA(世界動物園水族館協会)の件が最近ニュースになっています。
 といいつつ、自分も水族館と動物園が一緒になった協会がある事や、それが国際基準の組織と、各国の組織があるという事を今回で初めて知りました。
 ニュースを見ていない人の為にざっくり説明すると、「和歌山県太地町のイルカ追い込み猟によって水族館はイルカを調達しているので、JAZAに対してWAZAの会員資格を停止するという通告を受けた」という事になると思います。(ちなみに全ての水族館が猟からイルカを調達している訳ではなく、自ら繁殖などで飼育している所も少ないながらあるそう。)
 JAZAに対して、期限内に対処措置を示さない場合はJAZAをWAZAから完全除籍するとの事ですが、一番困るのは動物園の方で、これまで「種の保存」としてWAZAのルートを使って動物を融通してもらっていた事もあるので、除籍になると存続が厳しくなってしまうとの事でした。
 最終的に投票でWAZAの残留への希望を望む声が多かったために、イルカ漁からのイルカ調達をやめて繁殖でのイルカ獲得を目指していく事になったそう。しかし、繁殖でのイルカ飼育にはそれなりのプールなども必要とし、また、経験者が圧倒的に少ないので、水族館側としてはこれからどうなるのか頭を悩ませているとの実情があります。

 個人的には、WAZAへの残留に落ち着いて良かったと思うのですが、関係者の方々は何も解決していないだろうし、はらわた煮えくり返っている人も多いのだろうと思います。
 個人的に良かったと思っているのだって、本当に個人的な考え方や印象とかなので、当事者からしたら納得いくものではないはずです。僕としては水族館側の感情的な主張(WAZAなんかに残らなくてもいいという主張の方)で動物園側まで巻き込むのもどうかと思うし、少なくとも水族館においての海獣類は観客に愛着を持ってもらう為の展示(という言葉が適切かどうかは分からないけれど)なので、そんな存在を猟で捕獲して調達してくるというのはどうなんだろう、という気もしないではないのです。
 ただ、イルカの問題については今までも考えた事はありますが、考えれば考えるほど答えに行きつかなくて、しかも他のいろんな問題まで芋づる式に引っ張ってきてしまい、余計に答えが闇に沈んでしまうものでもあります。今の僕の考えもまだ感情論的な部分があるように思え、だからこそ僕は自分の考えを正しいとはこれからも多分主張する事はないと思います。

(今のうちに明言しておくと、この記事で最終的な自分の答えとか主張はありません。間違ってると思う事は否定しますが、最終的な自分の答えは導き出されていません。記事を読んで「自分はこう考える」という声があれば後学の為に参考にできるかもしれないですし、特にリアクションはなくても、読んだ各人で密かにでも考えてみたりしてもらえれば意義があるかなと思って書いています。)

日本のイルカ猟問題

 2009年、「THE COVE」というアメリカのドキュメンタリー映画が公開され、世界がショックを受けた訳ですが、実は世界も知らない、日本人ですらショックを受けた事実でした。
 まさか日本でイルカを食べている地域があるとは、当の日本人ですら想像し得ない事実でした。(太地町の方々すいません;)
 日本人のイルカのイメージは人懐っこい愛らしい生き物であり、基本的に野生ではあっても、どこか愛玩動物のようなイメージだったからです。「まさか食べるなんて信じられない!」と感じた人がおそらくほとんどだったのではないかと考えられます。(太地町の方々すいません;)
 でもこの映画のおかげで、一気に「日本人はイルカを残虐な方法で殺して食べる民族」というイメージが世界で広がりました。ただでさえ日本は鯨食文化もあり、捕鯨もしているので疑いようもなかったのではないでしょうか。

 確かにイルカ追い込み猟で画像検索するだけでも、その見た目はアメリカンホラーのようなショッキングな映像で、インパクトがある(血なまぐさいのがダメな人は検索しない方が良いと思います。)ので、「人道的ではない」という感情が沸き起こるのも無理からぬことなのかなとは感じます。
 でも、僕が常にして間違いないと思っている事の1つとして、『物事を考える時、「論理思考」と「感情思考」のどちらか片方のみで考えると物事を見誤る可能性がある』というのがあって、このケースで言うとやはり「感情思考」のみで構成された所謂「感情論」になってしまうのかなという気もします。
 そういう結論に行き着くほど、イルカ問題は奥行きのある複雑な問題であり、前述のとおりイルカだけの問題ではなかったりします。

 実際、太地町の人たちは(伝統というにはそれほど歴史が古くないという諸説もありますが)昔からイルカを猟で獲って食べていて、食文化として根付いていた訳で、太地町の人たちの視点で周りを見てみると、それが当たり前の風景だったはずです。
 そもそも食べる為に人はこれまでにもたくさんの他の種を殺している訳だから、太地町の人やJAZAが「なぜイルカだから駄目なのか」と憤慨するのも、当然の理とも言えるように思えます。もちろん、「あれは魚類ではなく哺乳類だから」という理屈も通る訳ありません。
 地方から別の地方に引っ越したりすると、「何その文化!」とか「何その食べ方!」とかみたいな事があると思いますが、ある意味それと同じでもあったりします。その地方にしかない食べ物、食べ方が、他の地域に出てみて初めてローカルなものであったと気づく。それが太地町の場合はイルカであったというだけではないかと。
 太地町の人にお会いした事がないので推測に過ぎませんが、太地町の人からすればもしかしたらイルカは「愛らしい」生き物ではなく狩猟などでハントする猪や鹿などと同じ感覚なのかな…と考えていますが、太地町の方、どうでしょうか?

イルカを食べてはいけない(?)理由

 そうはいってもイルカ保護を訴える声の中には、あれほど知能的な動物を殺すなんて、他の生物の「食べる為に殺す」という次元とは違っておぞましいという物もあります。
 僕としてはやはりこれも感情論のように思えるし、「知能の差で殺す(食べる)許可が生まれる」という理屈になってしまう。

 じゃあ、かわいいから殺して(食べて)はダメだ、なんてのもやっぱり乱暴すぎます。個人的には僕もイルカかわいいから殺さないでほしいなと思うし、多分日本の、というよりおそらく世界の大半の人は同じように思うだろうと推測されますが、それでもやっぱり乱暴すぎます。
 仮に人間より上の存在があったとして、「これはかわいいから残そう」「これはかわいくないから殺そう(食べよう)」で自分たちを分けられたらたまらないですよね。(いや、「自分はその場合殺されないだろうから安心」という人もいると思いますが…;)

 他にもイルカ肉は美味しくないから食べる必要がない、だから殺す必然性がないという声もありますが、これはなんだか明後日の方向に行ってしまった論説の気がします(^^;)
 国や地域によって好みや味覚は違いますし、調理法にもよるでしょうから、そもそも他の生物を殺して「料理」という物があって、料理人が切磋琢磨して味を追求するから各地で料理が洗練されていったのであって、必然性と言ってしまえば、元々「料理」自体に必然性もない事になってしまい、だからこそベジタリアンの人などもいるのだろうと思われます。

 ただ1つ、イルカ肉は水銀を多く含んでいるので、健康的に食べるべきではないという声もあります。水銀は自然に存在するものであって、イルカ以外の、例えばマグロなどにも存在しているそうですが、その濃度が高い事が指摘されています。
 一応、町民1000人超を対象に水俣病総合研究センターが検査した結果、健康に害を及ぼす程度は見られないという結果が出ており、和歌山県のHPでは排泄などで体外に出たりもするので蓄積量が重大なレベルに達しないようです。
イルカ漁等に対する和歌山県の見解

 それでも胎児は影響が懸念されるとの事で、妊婦さんなどは食べない事が推奨されているそう。イルカやクジラばかり食べている訳でもないでしょうから、確かに体外に出ている分もあるのであれば、水銀蓄積はそれほどしないのかもしれません。
 心配な人はこの点だけ留めておけばよいと思います。でも別に水銀が元で健康に害を及ぼした人はこれまでもいないそうです。

イルカにとっての幸せと水族館

 しかしそれとは別に、イルカを水族館で飼育し、見世物にする事自体が動物愛護の点からして人道的ではないとの声もあります。イルカを抱えている水族館には度々そういう苦情やジャーナリスト然とした人の詰問があるというのもチラホラ聞く話。
 水族館のイルカは野生のイルカに比べて寿命が圧倒的に短いという声もあります。僕は目にした事ないですが、多分Twitterなどでも拡散されているのではないでしょうか。
 ではどのくらいの比較なのかというと、だいたい野生イルカの平均寿命30年~50年、水族館のイルカの平均寿命3~4年、だそうです。
 ただ、実際野生のイルカの寿命を調べるのは相当に厳しく、情報のソースが怪しいとも言われているそう。
 こういうブログ記事も見かけました。
水族館は牢獄か?
 これによると、アメリカの調査チームが行った長期調査では確かに最長50年ではあるものの、平均では7年との事。
 さらに言うと海によってもイルカの外敵などによる危険度も違うので、この調査だけで野生イルカの寿命が測れるかとの見方もできます。
 イルカは高速で泳ぐ動物なので、狭い水槽に閉じ込めて、芸を仕込まれて無理矢理飼い慣らされ、ストレスで寿命を縮めている――との論説に繋がっているのですが、確かにこの表現だとイルカにも多少のストレスはある気もします。
 しかし、ふと思うのが、「これって人間が勝手にそう決めつけているだけではないか」「そう想像しているだけではないか」「勝手に思い込んでいるだけではないか」という事。
 人間の言葉が話せない動物の気持ちを勝手に「そうに違いない」と考えている危険性も孕んでいる気もするのです。
 犬の言葉を翻訳するなどの類の機械だって、絶対間違いない翻訳だという保証はないし、多くの人がどこまで正確かとも考えていると思います。
 「狭い水槽」だから、「芸をしないと餌がもらえない」から、ストレスを感じているに違いない――と、水族館飼育否定をされている人々は考えていると思うのですが、これは裏に返す事も可能ではないかとも思えます。つまり、「ちょっと不自由はあるけど襲ってくる外敵もいない水槽」と「芸さえすれば安定的に餌がもらえる」との見方もあり、要は、当のイルカがどっちの気持ちでいるのか、人間には分からないとの事。
 かわいそうなのか、幸せにのんびり過ごしているのか分からない。飼育員も「わあ、餌くれる人だ♪ 何すればいい?」と思って芸をしているかもしれない。
 もちろん、狭いよりは広い水槽がイルカにとってもいいでしょうけど、人間だってストレス社会で生きていて、それをどう減らせるかであって、ゼロというのは不可能であるのと同じように、結局はプラスとマイナスの総合でできるだけプラスが多い生涯を与えられるかでもあるとの見方もできます。

 でもここまで来ると、そもそも水族館や動物園自体が、ある意味地球の自然的な点で見て必然性がないものではないか、という考えにも到達してしまいます。
 作ろうと思わなければ水族館や動物園も作られない訳で、絶対に必要な物かという問いかけも生まれ、しかもこれらがある事で世界各地の動物や水生生物などが大陸移動や地域移動することになり、生態系全体への危惧にも発展するのではないか――との声もあります。
 見世物にする事への反対や、動物たちのストレスへの心配、元々の生息地域との環境の違いや、人造的な生態系を作り出す事への否定などもあると思われます。(この辺は裏を取っていないので推測ですが。)
 一方、水族館や動物園で実際に生物たちに生で触れてもらって興味を持ってもらう事や博学的な意義を訴える声もあります。実際にこういう場所がきっかけで学者の道に進んだ人もいるのではないでしょうか。それに正直、僕も(魚や水棲生物に興味がある訳ではないけど)水族館は好きだったりします。最後に行ったのはいつだったか記憶にないですが;
 でもそれってやっぱり人間のエゴになってしまうのかな、とかふと思ってしまう事もないではないです。

食のエゴと数の暴力

 そして話は戻りますが、イルカを食べるのがダメとなると、他の動物たちはどうなるんだという話にもなります。他の種を殺して食べるのは全般的に人間のエゴイズムでもある気がするし、それを否定すると、世界の全ての人間がベジタリアンにならざるを得ないように思えます。
 そしてやはり答えのない思考の迷路に突き進んでしまうのですが、どの動物を食べるのかも国や地域によって違っていて、さらに言えばどの動物を愛護動物として愛でるかも、国や地域によって違います。
 僕は別のノートで猫の殺処分などについて愛護的見地でノートを作成しましたが、もし日本が猫を食べる国であったら、食肉に回されていた可能性だって高確率であったのではないかとも思えます。ぞっとする。
 ヨーロッパではウサギ料理のあるところもあるし、ウミガメを食べる島国もあるし、日本に嫁いだアフリカ(どこの国だったか忘れてしまいましたが;)の女性が「ごちそうがいっぱいある!」と思って公園の鳩を捕まえようとしたという話も見聞きしてます。そういえば日本は普通に鳥を食べるのに、鳩は「平和の象徴」として全く食べる概念がないというのも奇妙な話ですね。(ちなみに鳩を食べる国の母国料理店を日本で開いているところでは鳩料理なんかもあったりします。)
 他にも、お隣りの韓国では地域によっては犬食文化が残っていて、しかしグローバル化が進んだ現在では(おそらく都市部ではないかと思いますが)日本や欧米と同じように犬を愛玩動物として飼う風潮が拡がっており、「犬は人のパートナーなのに食べるなんて信じられない」という派と、「犬食は文化なのに」という派とに国内で分かれています。この韓国の犬食文化なんて、ほとんど日本のイルカ問題とダブって見える構図な気がします。

 ここまで来ると本当に思考の迷宮に迷って出口が見えなくなってしまうのですが、食べる動物、愛玩動物を取捨選択するのも結局は人間のエゴになってしまうのか……と、こう考えるとどうしても気持ちが暗くなりそうですが、かといってやっぱり肉は美味しいし、好きだというのが正直な気持ちでもあります。
 でもここまでの事を考えると、他の国や地域なんかの事には簡単に口出しする訳にはいかない気もします。だから、個人的にはイルカ猟はやめてほしいなあと思いつつも、それは感情論でしかないから主張はできなかったりします。
 もし余所が口出しできるとしたら、それは乱獲によって固体数が生態系的に危機的状況に陥った時ではないかな、と思います。食文化とは違いますが、アフリカのマサイの人々は以前は勇気試しにライオンと戦って殺すイベントを定期的に行っていたそうですが、インターネットでライオンの個体数が危機的数に陥っているというニュースを見て、協議の結果、今ではスポーツ大会みたいなものに変わったというような事もありました。(知っている人も多いと思いますが、マサイの人は新し物好きで、現在はスマホも持ち歩いてます。)

 結局ここまで考えてみて、これってマイノリティ(少数派)とマジョリティ(多数派)の構図のような気もします。世界の多くの人(というより欧米かな…;)はイルカは愛すべき動物であり食べてはいけないから、殺してはいけない――という。
 でもマジョリティだから世界はマジョリティが平均であるのには仕方のない事だし、マジョリティに合わせられた世界である事は当然であると思うけれど、マイノリティを全否定してはならないと思うし、マイノリティの道も閉ざされてはならないようにも思えます。
 でも社会的マイノリティと呼ばれる人々がマジョリティの世界で暮らしやすい世界を構築するのとは違って、生命を奪う事だから、解答を導き出すのは一筋縄ではなさそうです。

 他の参考にしたURL↓
イルカ追い込み漁について詳しく知りたいと思います

太地町のイルカ追い込み漁について(1

太地町のイルカ追い込み漁について(2)

 イルカ問題とは関係ないですが、命と食について参考になりそうな映画→「ブタがいた教室
映画館で観ました。

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