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学歴とか、表面だけでの評価の話

生まれてこの方、
自分の内面的ではない外面的な、
他者からイメージされる「私」
という人間での評価や、印象、
また学歴とか、容姿とかでは
人より、あまり評価をされずに
生きてきた方なのではないかと思います。

反対に、実は自分が満足してないだけで
評価をされていたとしても、
みんなこんなに外面だけのイメージや
見ただけでわかる経歴で評価されていることを
考えると、日本にいるのも恐ろしくなります。

こんな偉そうなことを言っておいて、
自分の実力不足なのではないか、
だからそのように見られるのではないか
という不安な気持ちも実は持ち合わせています笑
けれど、人間生きていくためには評価されたいものです。
頑張っている人ならば、
尚更中身を見てほしいと願うだろうし、
表面だけのイメージなんていらないですよね。


まず、前回の記事で書いていたように、
私は中学時代から勉強が苦手で不得意でした。
中学校のテストでは、
常に半分以下の順位でいましたし、
これを見ている方々に引かれる覚悟で言いますが
5教科で100点台の人間でした。
順位がトップの人たちが3教科でとれる点数を
5教科でとっていました。笑
悲しいことに、それくらい勉強が
苦手で、できなかったです。

そこから将来やりたいことを見つけ、
高校で専門的な学科に入学して、
将来のために勉学に励みました。

将来のやりたいことを学べるいい学校で、
同じ夢に向かって頑張る友達もできましたし、
未だに仲良くしている友達もできました。
そこの学校に行けて本当に良かったと
思っているのですが、
いわゆる、地元で有名な
ヤンキー高ではあったんですよね、きっと。笑

ありがたいことに、
高校で初めて勉強したことが身について
定期考査では常に3位以内には入れていましたし、
中学校の時、
あれほど勉強のできなかった自分が、
高校ではみんなに勉強を教える立場、
授業で難しい問題が出て、
みんなが答えられない時に
先生が私を当ててくれて応えられる
快感というか、努力が身を結んだというか、
そのような状況で3年間生活できました。
さらに志望していた大学にも推薦で入れて
私的にはこの3年間は
自己肯定感がかなり上がった3年間
自分を好きになれた3年間
たくさんの自信をもらうことができた
素敵な3年間でした。

大学に入り、
偏差値がかなり違うので
勉強内容についていくのも必死でしたが、
高校で得た、努力は絶対身を結ぶという経験と
常に成績がトップにいたから、
ここでも落ちたくない、トップでいたい
という多少なりのプライドで
大学の勉強も頑張ることができました。
大学の成績も体育以外は、
いい評価をもらうことができました。
(どうしても、運動音痴だけは、
 努力でも変わりませんでした。笑)

就職活動の前に、実習が必修で、
その職に就く前に、
職場へ実習へ行き学ぶのですが
大学で行う実習のガイダンス、
少人数での実習指導の先生により、
見事に私の自信が損なわれました。

「あなた、あのヤンキー高なんでしょ?
 あの高校はなあ、、笑」
「それに、字も癖酷いよね?
 あの高校だもんなあ、、」

という言葉でした。
たしかに、
高校名を聞いたらそうなるのもわかります。
けれども私自身、その高校に3年間通い、
大学で専門的知識を学ぶ前の
土台作りを行ってきたし、
何よりも専門教科以外のものも頑張ってきて
今この大学に通えていること。
この高校出身だからといって、
何もできないわけではない。
実際、この大学での成績のトップ10以上には
入っている。
字の癖が酷かったのはまぎれもない事実なので
何も言えません。
ただ、癖が酷いのは出身校は関係ありません。
私の努力不足です。

私という基盤を作ってくれた、自信をくれた
あの3年間を酷く侮辱されたようで
もらった自信を胸に大学でも変わらずに
頑張り続けた自分を否定されたようで
酷く悲しく、傷つきました。

たしかに、出身校や、学歴はわかりやすい、
その人がどのような人かわかりやすい?
物なのかなとは思います。
反対に、これらで評価する人が多いので
そういう物なのだと脳に刻まれている感覚もあります。

けど、人は全員違いますし、
どこの学校を出身でも
その人には頑張ってきた経験がある、
それが結果に繋がっている場合もあるため
一概にそれだけで判断し、
否定することは絶対に違うのかなと思います。


ここで、そう思うのならば
悔しいと思うのならば過去の自分が
経歴とかで結果を残すべきだったのではないか
この話をするとそう言われることも多少あります。

それは、たしかにそうかもしれません。
私が中学の時トップ3の成績に入っていれば
県内でのトップ高校に入れただろうし
東京大学に進学もできたと思います。
自分の経歴が嫌ならば、
このような経歴を残せるように
過去に努力すべきだったのではないか
このような経歴だったら
誰もが納得して
自分を評価してくれるのではないか
そう思う自分もいます。

言い訳に過ぎないのかもしれないですが、

・中学の時成績が底辺だった自分
・将来やりたいことを見つけて、高校に入り、
   そこで頑張って成績で結果を残した自分
・専門的なことを、高校から学び基盤を
   作った自分
・その基盤に基づいて、大学でも日々研究して
   成績を残した自分

人にとっては私の経歴なんて
底辺に過ぎないと思います。
けれど、私にとってはこの経歴こそが
今の私を作ってくれた大切な経歴であり、
大切な基礎、基盤になってくれています。
そんな自分の大切な経歴を侮辱されたこと
その経歴だからといって、
今までの自分の頑張りを否定されたこと
これがどうしても腑に落ちないのです。

最終的に、実習でも積極的に頑張り
実習先の方が過大な評価をしていただいたお陰で
その先生を見返す、というか
自分はこのような人間であるということ、
あなたが馬鹿にした経歴の人間はここまでできる
ということを感じてもらえました。
また、ここまで頑張る人間だとは思ってなかった
という言葉も貰いました。

経歴って一目見てわかる物ですし、
学歴とか評価に繋がること
とても多いと思います。
あそこの学校だからーーーとか
あの学校はーーーとか
よく聞く言葉ではあります、
けれど、
その人にとってかけがえのない時を
過ごしていたかもしれないし
その人が人生で1番頑張った時間かもしれない、
学歴で全て決めつけること、
そろそろ終わりにして
その人の頑張ってきた経験とか、熱量とか、
そのようなもので見てほしいですよね。

大学の時は、見返すことができましたが、
働き始めてからも経歴、学歴、年功序列に
悩まされるなんて思っていなかったです。
経験年数は長いのに、
歳が若いという理由で今も自分の経歴、肩書きに悩まされるとは、、。
働き始めてからの話はまた書こうと思います☺︎

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