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楽しいことを楽しいまま、細く長く続けていくために、私が私にしてやれること。

 初めましての方、ようこそいらっしゃいました。
 二度目以上お運びの方、本日もありがとうございます。
 こんにちは、あらたまです。

 水曜日は定休日。
 Twitterのつぶやきを読み返しながら、ふと思ったことをつらつらと書いてみたくなりました。
 自分のつぶやきを少しだけ捏ねて叩いて広げてみるのって、ちょっとした心のストレッチになるみたいでね。最近ではお気に入りのストレス解消法だったりします。
 よろしければ、ひとくさり。お付き合いくださいませ。


 🌼 🌼 🌼 🌼 🌼


 現在の地球という環境において、大部分の生きとし生けるものには寿命が設定されていますね。
 そんな中、人間くらいですよ?
「常に好奇心を忘れず、成長していく所存です!」
 成体にもなって成長ぉぉぉ!なんて言ってんのは。成熟進化ならいざ知らず、成長ってどうなんでしょう。

 オギャーと生まれ落ちたその瞬間から、日々死に向かって命の灯燃やしてる以上、そりゃあほっといたって何かしらの変化はしてますけども。
 その現象を老化と言わずに「成長」と呼びたくなる成熟個体というのは、一体全体、何を求めて成長したいと願うのだろうか?そして自分が思い描く「成長」と同じ変化を何故私に望まれるのか?
 そんなことを、一時期深く悩んだことがありました。
 日々成長してると言うなら、何故その自分自身の変化に満足できないのか?
 剰え、期待に応えるべく定められた目標をクリアしたのにも関わらず、まだだ!まだイケるぞ、頑張って次の成長を目指せ!と飢餓感をあおるのか?
 ……まあ、その時は、そこがブラック企業だったってのが大きな理由なんですけども(´・ω・`)


 私の体の中では、毎日数えきれないくらいの細胞が生まれて死んでを繰り返しているそうです。
 そのサイクルを維持するために、栄養を喰らい、水分を取り込んでいます。これをして、世の人は「生きる」と呼んでいるのですね。幼体の頃は細胞分裂も盛んで、数も増えて行きますから、そりゃあ成長とも言えますね。
 しかし、このサイクルも年々のんびりしたものになってきます。
 いろんな部品が数を減らし、エネルギー効率を考えた設計に変わっていって、次第に活動を停止する――大人になって、寿命を迎えるのです。
 体の中ではその日々の「営み」に、あらゆる細胞が一所懸命です!
 レベルアップした手応え?満足感?を得ないとなんかモニョモニョしちゃうわー……と言ってる細胞っていないんじゃないかなあ。

 では、その満足感を得たいと思ってるのは誰?という話になりますね。
 私は、ココが人間という種族のメンドクセエとこかなと思ったりするんですけども。
 体の中の細胞ちゃんたちとは別に、自由に振舞っている(と思い込んでる)ヤツが……どうもいるらしい。
 それを世間一般では心(こころ)と呼ぶらしいですよ。
 病は気からなんて言葉もあるくらいに、本当は心と体って密接に繋がってるのに、時に心の方が体の声を無視しちゃうときがあるんです。生き延びるためとはいえ、脳味噌をとにかく大きくする方向で進化したツケでしょうかねえ?

 この心が欲しがる満足感が曲者なんじゃないのかなって、ね。
 心と体(細胞レベル)で認識のずれが容易に生じるらしいぞってのは前述の通りです(あくまでも、私の体感からの考察)。
 しかもその感度や満タン値は個体差が大きいと来ているらしいですから、はぁメンドクセエです。
 茶碗に半分の白米で満足できる人も居れば、どんぶり飯を毎食八杯食べないと喰った気しないという人も居ます。
 胃袋の満足なんていらん、惚れた相手に15分おきに愛を囁かれたいのって人もいるでしょ?
 この世の札束、ぜーんぶ自分のものにしないと気が済まないって勢いで、金儲けしてるのに満足しない人ってのもいるし。
 中には「今、言ってたのぜーんぶ頂戴!」て人も居ますしね。怖い、怖い……。

 私もちょっと前まではずいぶんと強欲で鳴らしたもんです。
 飯・風呂・睡眠、ぜんぶいらん!欲しいのはテレビと映画と本だけいい――とね。

 四六時中、空想物語或いは誰かの「人生」という名のリアルな物語を欲していました。満足なんてどこまで行っても味わえませんよ。
 「嗚呼オモシロかったなあ、これはアレだ、続編てのがあるだろう?」
 「次だ、次だ、あるなら出し惜しみすんなよ」
 「足りない、足りない、もっともっともっと寄こせ!」
 リアルに。
 こういう感じですよ。キレる若者という言葉が世に出回る前から、少々キレ気味に日々を過ごしていました。
 こういう心の飢餓感だけしか知らない子は、生物学的にはほんとに脆いです。すぐに病気するし怪我もします。なんせ体が欲する栄養を極力カットして、その分を心の欲求のままに本を買ったりするわけですから。

 身体の満足感・飢餓感に無関心だと、それにつられて心が満たされることもない――体と心は繋がってるってことを知りませんから、それすらも気付かないわけです。

 一度、体の方の栄養と休養が足りずに、ぶっ倒れてみて初めて分かりました。
 自分が生物学的にどんだけ弱いかということ。
 体と心は繋がっていること。
 すなわち、体のあちこちの様子に合わせて補給とメンテナンスをやれば、なんだかイイ気分でいられること。
 なんだかイイ気分だなあと感じることができれば、多くの物語に出会う機会が増え且つ一つの物語を長い時間楽しめるようになること。
 知らなかったことを知ることができた喜びはあったけれど、これでレベルアップできたぞ!とは思わなかったですね。
 より効率的に人生を楽しくするための知識を得た――老獪さを身に付けたな、という手応えはずっしりとありました。老いるにつれての変化は、私にとっては成長ではなく、成熟です。過剰なものを取り去り、無駄な動きを省き、のんびり調子に為っていく命の営みを細く長く続けていくための、経年変化とも言えましょうか。

 成長するために頑張ってるのに、成果が見えない?
 頑張る方向を間違ってんのかな?
 単純に頑張りが足りないのかな?
 そんなこと無いと思いますよ。
 いい加減、その「成長」という言葉が抱かせる柔らかな双葉の象意のろいから解放されてみませんか。
 頑張る前と後とじゃ、必ず変わってるとこがあるはずです。
 某ファミレスの間違い探しみたいに、真剣に探して御覧くださいませ。
 一回しかできなかったことが三回できてたり、知らなかったことを知ったり。
 間違い探しも出来ないほどに「成長」への飢餓感がしつこいなら、心か体か或いはその両方か、補給とメンテナンスが足りてないのじゃないかしら。
 まず休憩して、元気になって、その上でもう一度御自身を省みてみませんか。
 「あれ?休憩する前に見た時より、なんだかイイ感じな気がするなア?……」
 そう思うことができたなら、次の一手はおのずと決まるんじゃないのかな。

 まあ、アレです。
 信じるか、信じないかは、アナタ次第です!


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 最後までお読みいただき、誠にありがとうございました🤗💐💞


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