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【二本目:その席にて待つ】『いま、なんどきだい』【第十一回の配信】

 はじめましての方、ようこそいらっしゃいました。
 二度目以上お運びの方、本日もありがとうございます。
 虎徹書林ぷれぜんつ、木曜日のチョイと怖いお話――略称『虎徹書林のチョイ怖』をお届けします。

 今回の第六話、紙又は電子書籍に収録することが前提の短編小説の三本立て構成です。週に一度の連載で、完結まで五カ月ほどかかります(2024年7月ごろに完結予定)。一回分のボリュームは約5000文字ほどです。
 収録する書籍の出版予定は未定ですが、書籍化するにあたり加筆・修正がされます。また書籍化の規約上、noteでの公開が中止になることもありますのでご了承ください。

<四>
※無料公開中は虎徹書林作品のご紹介(真ん中へんと最後あたりの二回)が含まれます

 腹が減っているのは皆、同じ。無理矢理にでもそういうもんだと信ずれば、辺りの席から漏れ聞こえてくる陰気な囁きも、昼飯に真剣勝負を挑まんとする熱意の現れに思えなくもない。
 相席の老人と共に品書きを眺め、これにしようかそれともこっちにしようかと思案していると、徐に老人が、わざと無愛想な風を装い、女将を左手を上げる仕草のみで呼び止めた。
「玉子とじ」
 それを受けた女将が心底意外だといった顔で、
「あら、御隠居にしては珍しい。いい塩雲丹、入れといたんですよ?いつもみたいに冷で一杯、やってかないの?」
 あー、それなんだがなあ、と老人はばつが悪そうに額を掻いた。
「流行病から解放されたと思ったら、どうにも鼻が利かなくてな。塩雲丹かぁ、憂さ晴らしも兼ねてキューッとやりたいとこだが……せっかくの美味いもんをきっちり!美味い美味いと味わえなきゃぁ、お前さんにもその塩雲丹にも、申し訳がたたねえってもんだろう」
「ふぅん、殊勝なこと言っちゃって……うちの玉子とじ蕎麦だって、朝どれ新鮮玉子をたっぷり使ったとびきり美味いもん、なんですけどねえ」
「なーにを屁理屈捏ねてんだ、病み上がりには玉子とじ!美味いもヘッタクレもねえやな。どこでどう喰っても精がつくってもんだろうよ」
「ハァ!御隠居には敵わない、敵わないィ」
 屁理屈合戦に白旗を上げた女将はフフ……と笑い、ハイヨじゃ玉子とじね、と伝票に書き込んだ。そのついでに、私に目線で注文を促す。
 嗚呼、と応じた私はざるそば――と言おうとしたのだが。
 喉の奥で『ざるそば』の四文字がつっかえる。
「うん?どうしました?」
「あの……ざ……」
「うん、うん?」
 女将が私の眼を覗き込み、気のせいか、ずいっと一歩、こちらに踏み込んだ気がした。
「お客さん?」
「ハイ」
「ご注文は?」
 私の舌と喉はストライキを起こしたようにがっちりと固まり動かなかった。それどころか、強引に『ざるそば』と発声しようとすると気道が押しつぶされるようで、呼吸をするのも危うくなる。
 咳払いをしたり、喉仏をつまんだり、押し合い圧し合いの挙句、ようやく口が勝手に。
「熱燗とかき揚げ。それと、板わさ」
「はい?」
 女将の両目が真ん丸に見開かれた。
「あ、ああ、あ……熱燗とかき揚げ。それと、板わさ」
「ほんとに?冗談じゃなく?」
「ええ、とりあえずそれで」
「はぁい……え、ほんとにほんと?それでいいの」
「お願いします」
 チッと聞こえたのは、まさか女将の舌打ち、ということはないだろう。
「かき揚げ、うちは野菜だけのやつ。エビとか小柱とか入ってません。それと、少々御時間いただきますけど、お客さん?その前にお腹減り過ぎてぶっ倒れたりしませんよね」
「ええ、その間、板わさをちびちびかじっておきますんで」
 女将は一瞬きょとんとしてから徐々に天井に顔を向け、ぶら下がる電灯の笠を数秒見つめた末に、私を指差して叫んだ。
「そっかぁ!あったまいい!」
 こちらの方が『ほんとに?』と聞きたくなるほど感心したような風情で、彼女は何度も頷いて、帳場の方へと戻っていった。
 相席の老人はというと、そんな私と女将のやり取りを不思議そうに眺め、やがて口を開いたかと思うと、これまた妙なものを見たかのように、
「なあ兄ちゃんよ、お前さん、どこも悪くないのかい?」
 まったく質問の意図が掴めなかった。
「悪い、といいますと?」
「あ?……あー、まぁなあ……あ!」
 首を右に左にと傾げた後、急に何かに思い至ったようで、老人は満面の笑みを浮かべた。
「いや!そうかそうか、そりゃあ済まない。こっちが勝手に勘違いしちまったんだなぁ、悪い悪い」
「あぁ、はあ……」
「熱燗に板わさ、上等だよそいつぁ。そいで胃袋の御機嫌を伺ったところで揚げ物だろ、いや、実に結構!結構だ」
 大いに楽しめとばかり、大きくウンウンと。先ほどの女将に負けず劣らず、こちらが心配になるほどの頷きっぷりである。第一、彼女と彼が何をどう捉え、何をもって納得したのか?話の筋道がまるで見えてこない。
 そして老人は、もう一つ、妙なことになっていた。
 彼の顔色は相変わらず死人のそれに近かったが、三途の川の渡し守が迎えに来てもチョット待ってろ!と駄々を捏ねるくらいはやりそうな、些かの生気が戻っているように見えた。それに、薄いカーディガン越しにもわかる肩の筋肉の張りが……あれはどう見ても萎みきった老人のそれでは在り得なかった。
 私の、勘と、此岸と彼岸を嗅ぎ分ける器官と、経験則が、理解を拒絶していた。

 程なくして運ばれてきた熱燗と板わさは、空腹の絶頂にあった私にとって、これ以上ない滋味溢れる逸品であった。
 元来私は食に関して、美味くて安くてある程度満足できれば、ブランドや材料の優劣にはこだわらない質である。だからこの時の熱燗も日本酒であること以外、辛口なんだか淡麗なんだか、知った事ではなかった。
 しかしそんな粗忽者でさえ、縮こまった胃袋に流し込んだその白湯の如き爽やかさは、そんじょそこらではお目にかかれない極上物の証と判る。風邪を拗らせ、高熱にうなされた翌日の朝一番に飲むスポーツドリンクでもこうはいかないと、思ず唸るほどの美酒だった。
 酔いは天地を掻きまわすどころか、弱り切った心と体を柔らかく癒し、手足の先端に至るまで活力を無理なく行き渡らせる。
 私は殊更にゆっくりと、五臓六腑がじんわり潤いながらあるべき姿に調うのを想像しながら飲んだ。
 美味さに溺れてガツガツ飲むなんて、それこそ酒に失礼だと思った。
 続けて五切れ並んだ板わさの、右端の一枚をそっと端で取って四分の一ほどを噛み含む。キュ、キュ、と小気味よく鳴るかまぼこの楽しいこと、ひと噛みごとに広がる白身魚の淡白にして奥行ある旨味……私は思い出したように鞄の中から文庫本を取り出した。
 その表紙をひと撫でし、私だけの満足感を確かめて、改めて酒と共に、奥ゆかしき練り物を喉の奥へと流し込む。何度も読み込んだ本の内容を頭の中で諳んじると、それが山葵の風味を底上げする隠し味のような役割を果たし、板わさというシンプル極まりない逸品の完成度を、もう一段、引き上げたように感じた。
「美味いかい?」
 老人が上目遣いで、訊いた。
「はい、こんな美味いかまぼこも山葵も、食ったこと無いです」
「そうか……そうかぁぁ……いいねえ、兄ちゃん見てるとこっちまで嬉しくなるねえ」
 老人の笑みはますます至福の血色を帯び、いまやはちきれんばかりだった。


『いま、なんどきだい』の二本目のお話【その席にて待つ】お楽しみのところ、失礼いたします。
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 隣の席の親子連れには、いつの間にか、ざるそばが三枚饗されていた。
 そして、老人の前にも、遂に玉子とじ蕎麦が届けられた。
 それぞれが思い思いに箸をとる。
 隣の親子は音もなく蕎麦を蕎麦猪口の中のつゆに突っ込み、ぬるぬると口に運んでいた。お世辞にも美味そうに食っているとは言えなかったが、三人の表情は席に着いたばかりに比べほんの少しだけ明るさが宿っているようにも見えた。
 老人はというと熱々の蕎麦とふわふわの玉子を、大きな一口で一気にすすり込み、ムグムグと咀嚼しながら、表情だけで満足を示していた。
「やっぱり玉子は栄養満点だな」
 遍く御老体が如何なる食い物をも幸せそうに、美味そうに、味わう様は実に微笑ましいものだ。
 が、しかし。
 私はデスヨネ……と口中に呟き、老人に頷き、唖然とした。
 老人の顔の血色がみるみる良くなっていき、音もなく猫背が伸びて、座高がほんの少し高くなった。
「あー、ほんとにこのまま生き返っちまェたら……いや、それはそれでめんどくせえな」
 聞き捨てならぬことをさらりと、先ほどよりも艶のある声で言い漏らす。すると。
「うん!めんどくせえ!」
 甲高い声が老人の言葉を拾い、そしてケラケラと笑った。
 反射的に声のする方――例の親子連れの席を見やると、果たしてその声の主は、つい先ほどまでうなだれるばかりだった、あの少女であった。
 彼女のふくふくとした頬っぺたは、今やバラ色に染まっていた。
 老人はというと、少女を相手に、まるで仕事仲間に接するような調子で話しかける。
「だよなあ!美味い蕎麦を美味いなあって食ってるのが一番だ」
「うん!」
 老人がガハハと笑うと、女の子の両親もウフフ、アハハと笑う。
 昨今、小さな子供を犯罪に巻き込まないために、こう言う場面での親は見知らぬ大人から我が子を遠ざけると聞くが。
(昭和の大衆食堂かよ)
 訝しむ私をよそにすっかり生気が満ちた夫婦は、つい数分前までとはまるで別人である。
「まったくもってその通りですなあ」
「ええ、本当に。美味しく食べるのが一番」
「オゥ!違いねェ」
 老人は最初からそうであったように、三人連れの親子と仲睦まじく笑い、世間話に興じた。

 気付けば、他のテーブルでも同様の変化が起きていた。
 部屋中に活気が満ち、蕎麦を啜る音さえも生き生きとして、これぞ浅草と言わんばかりの小粋なさざめきが広がっていた。
 私は――言いようのない薄ら寒さを覚えた。

 そんなタイミングで、である。
「かき揚げ、おまちどうさまぁ」
 女将が手ずから、かき揚げを配膳した。
「よ、お待ちかねが着なすった!かき揚げ、天ぷら、そうだよなあ。目出度い時はそれ相応に精をつけなきゃ、格好がつかねぇや!」
 老人が私以上に燥ぎ、それを受けて隣の席の親子連れがやんやと盛り上がる。別のテーブルでもオオオオ……とどよめきが起こり、さも当たり前のように拍手が起こった。
 その活気、盛り上がり方は、私には悍ましい儀式のように思えた。
 が、その不気味さに更なる彩りを添えたのは、他ならぬ私の食欲であった。
 私の食欲は数々の異様な事柄を前にして落ちるどころか、目の前で湯気を立てる赤ん坊の頭ほどはあろうかという大きなかき揚げを、一息に食いつくさんという勢いにまで高まっていた。
「さあ、兄ちゃん。食っちゃえよ」
「食べちゃえ、食べちゃえ」
「熱いうちにサァ」
「さぁ、さぁ!」
 促されるまでもなく、私は熱々のかき揚げに少々の藻塩をふりかけたのを、そのままかぶりつき頬張った。
 口中に先ず広がったのはごま油のコク、その陰に隠れていたのは、落花生だろうか?カリっとした歯触りは瞬時に解け、サクサクとした衣が耳にも美味い。
 少々ぬるくなってきた熱燗で、そいつをきゅーっと流し込むと、玉ねぎの甘みと舌触り、三つ葉の香り、人参特有の大地の旨味が、舌の上で踊った。衣の旨味と食材のポテンシャルが、日本酒の旨味と合わさって絶妙に――
(……ん?あれ?)
 感動が引き潮の如く引いていく。思ったよりも、酒との相性が良くない。
 というか、曰く言い難く、旨くない。
(ええええ……何だよ。急にモソモソっとしやがって)
 いまさらながら、何故熱燗など注文したのだろう?と考えた。
 突如として頭の中に現れた会議室では、ホワイトボードに『〆のオススメ』という議題の下に海老の尻尾がピンと立ち上がった天ぷら蕎麦の写真がデカデカと貼り出されている。それをバン!と一発叩き、まだ間に合いますッと叫ぶのは女将の面影を宿す営業部のエース?
(いやいや、かき揚げの後に天ぷら蕎麦なんて、さすがに胃もたれしちまうだろう)
 老人の言う通り、美味いものはきっちりと美味いままに最後まで味わうのが礼儀だ。
 せっかくの上等な海老の天ぷら蕎麦、次回に改めて、適宜腹を減らして食うのが最善というものだろう。
「今日は揚げ物の気分じゃなかった、てことか」
 何とはなしに出た独り言に、どこからかチッ……と。
 聞き間違い、ではなく。
 再びの舌打ちが重なった。
 え?と辺りを見回すが、楽し気に蕎麦を手繰る客、客、客、ばかりでそれらしいことをする雰囲気の者は見当たらない。

  「なかなかにしぶといねぇ」

 天井からか?
 梁からか?
 足元からだった、と言われればそうだったかもしれない。
 喉の奥が潰れたような、カサついた声が、はっきりと聞こえた。
「今の、聞こえました?」
 丼を煽って、汁の最後の一滴を飲み干さんとしている老人に、裏返った声でそう訊いた。
「どうした、腹の虫でも鳴いたかい?」
 肌艶も目の輝きも働き盛りの頃のそれを取り戻し、もはや死にかけの面影などこれっぽちも無くなった老人……いや、相席の中年男性には、私が感じ取っている異変は何一つ理解してもらえそうになかった。

第十二回へ続く】

 最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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このnoteを書いた人


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ご感想は――個別のお返事はできかねます。ゴメンナサイ

まさかとは思いますが……コラボのお誘いとか御仕事のご依頼とか――


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