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〇〇ロスではない。ただ悲しみを味わっているのだ(´;ω;`)ウゥゥ


 初めましての方、ようこそいらっしゃいました。
 二度目以上お運びの方、本日もありがとうございます。
 こんにちは、あらたまです。
 今日も今日とて、過日のつぶやきを手掛かりに、心のストレッチをしてみます。
 思考を解きほぐして、文字にして、最後はきっちり整いますでしょうか?
 よろしければ、ひとくさり。お付き合いくださいませ。


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 私とテレビゲームとの付き合いは意外と長い。
 任天堂からファミリーコンピュータが発売されたときの、まるで宇宙時代の幕開けみたいな熱狂から始まり、少々エレクトロな現場で一部御仕事に関わるなんてことをやりつつ、現在もなんだかコントローラーを握ってもちゃもちゃと弱攻撃だしたり魔法を詠唱したりしている。

 私自身は「くらしの一部」程度にしか思ってないんだけど、私という人を深く知らない人は一様に、虚無模様のお面を被って言う。
 「え……ゲーマーなんですか?」
 とんでもねえ、あたしゃちょいとRPGが好きだってだけの、社会不適応なオバチャンだよ。

 ドラゴンクエストシリーズですら全ナンバリングを遊んでいないから、ゲームヲタクを名乗るのもおこがましい。
 ファイナルファンタジー(通称問題にこだわり有る読者の方のために書いておきますと、私はFF派です)シリーズは、オンライン型以外はなんだかんだと一通り遊んでるのかなあ……いつの頃からか、ドラクエシリーズには無い悲劇性強めの物語がクセになり、遊ぶ・遊ばないはさておき新作情報はチェックするようになった。

 で、今日の本題である。

 これまで遊んできたFFシリーズの主人公と言えば、みな一様に若くて、見るからにハードなアクションをカッコよくこなしてくれそうな兄チャン・姐チャンであった。
 ところが。
 此方のストレンジャーオブパラダイス、ごりごりのオッサンが主人公なのである……実に私好みだった
 しかも、その主人公のオッサンは津田健次郎さんの声で剣呑な台詞をバシバシ叩きつけてくる。モンスターの返り血を浴びてウェハハハハとか笑うのよ。好感度?コンプライアンス?どの辞書に載ってんだそんなの、みたいな最高にクールでダークで悲劇性の化身みたいな……実に、実に私好みだった
 ゲームがリリースされたのは、折しも『気疎譚 ペーパーバック版』の制作が諸事情で難航していた時で、家族に「諸々危険水域だから、数日リフレッシュしたほうがいい」とやんわりレッドカードを差し出されていた頃だった。
 「これもなにか……星の巡り会わせ的なやつなんすかね?」
 ほんとうなら原稿をきっちり上げてスッキリした心身で遊ぼうと思ってたんだけど、予定を早めて、イージーモードでストーリーを数日で追いかけるなら……とコントローラーを手に取ったのだった。


 ここで脱線。
 物語を紡ぐという行為のもたらすモノと、それを受け止める側に回る時の私なりの覚悟みたいなものについて、書いてみたい。

 物語を味わった後に、レビューや感想と称し好き勝手「お気持ち」を述べるのは簡単だ(それが本来の意味での『レビュー』等の役割を果たしているかについてはまたの機会に屁理屈をこねる)。
 そしてその奔放さこそ「それでこそ消費者!」と思う。消費する者とは、潔くそのものをぶった斬り、次のターゲットへと向かうのが本性だろう。
 とは、いうものの……こと物語においては、だ。使い捨ての便利グッズみたいに消費するのはちょっと罪悪感を覚える、というのが本音なんだなあ。
 その物語を紡いだ人、物語をパッケージにするのに尽力した人々、物語に登場する人物たちを通して届けられる「何か」を受け取り、咀嚼して味わい尽くしたならば、血肉にまでしみ込んだ「かつて物語だったもの」を次の誰かに引き継いでもらいたいと願ってしまう。物語を届けてくれた人々に感謝をしつつ、こんな爪痕を残していくなんて酷い人たちだと恨み言も溢して。

 この世にあふれる全ての物語や登場人物に共感するとは限らない。
 むしろ全て味わえよ!いわれたら、できるわけねーだろ!と答える。
 相容れるものと、どうしても受け入れるわけにはいかぬもの、というのがあるのだ。
 俗世で地べたに這いつくばりながら生きる下世話な生物たる、決して聖人にはなりえない私の限界というやつだ。
 共感はできなくとも、悦びや悲しみ、痛みや憎しみは理解できるかもしれない。そしてそれらを労い、暫しの別れを告げることも出来るだろう。
 本題に挙げたゲームに照らせば。
 悲しさを引き受ける覚悟がなければ、その痛みをただただ不快に思うだけならば、この物語から……ゲームから立ち去れば良かっただけの話。別れが惜しいならば、もう一度物語のスタートラインに立てばいいだけの話。
 悲しいから寂しいからと、物語の続きをせがむような頑是ない季節は、私の中ではとうの昔に終わっている。それよりも、私はこの物語で何を見て聞いて、心が震えたのか?その心のさざめきはやがてどこに行きつこうというのか?私の記憶のるつぼの中でどんな化学反応を起こすのか……そういったことどもを見届け、必要があれば文字にする。そちらのほうが遥かに大事なことだ。


 始まりがあれば終りがあるのは、作り物の人生とて同じこと。作り物だからといって、安易に設定を弄って引き伸ばし、完結の瞬間を味合う覚悟のない者に忖度する必要など無いと思っている。
 ドラマやキャラクタのロスに陥ること自体を糾弾するつもりはない。ショックが大きければ、しばし休息をとってコンディションを整えるのは、むしろ最善策としてもっと世に浸透してもいいのではないだろうか。
 ただ、ね。その寂しさ、切ない愛おしさも物語の一部として、ガツガツ味わうのも悪くないよと言いたいのだ。
 なんせ私はもったいながりで、意地汚いからね。
 味わい尽くし、この身の一部にしたからには、それを糧とした「なにか」を未来に繋いで生きたい。私の悲しみは私のものであり、誰かに押し付けるものではないし、ましてや憐れみを乞う道具では断じてない。


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