40代_不妊治療をやっている方へ
出産まであと少しということで、不妊生活も本当に本当にラストスパートだ。つらかった。長かった。
一区切りということで、私の不妊治療記録を書こうと思う。
◆治療の進め方
39歳から不妊治療開始。年齢以外は、特に身体の不調もなく生理周期も順調。初めて受診した病院からも「数値的にも問題ないため、そんなにかからないでしょう」と言われていた。卵管鏡の狭窄のためFTを実施し、この頃はまだ自然妊娠にこだわっていた。
40歳目前から気持ち的に焦り。体外受精に踏み切った。AMHが低かったため前半に出来るだけ採卵して後半に移植した。
◆失敗したこと
・FTの後、長く様子を見過ぎた。3ヶ月くらいで
見切りをつけて転院していれば良かった。
・1回目の採卵のとき初期胚で凍結してしまった。
(胚盤胞までいかない可能性があると言われた為。
胚盤胞で移植するのが一般的だと知らなかった)
・2回目の転院をもう少し早くしても良かった。
※私が思ったことは、早く結果を求めるのなら、はじめから治療に選択肢の幅がある病院(低刺激〜高刺激可能な病院)がいいと思う。
◆病院先を選んだ理由
・英ウィメンズクリニック
┗大手有名クリニックで自宅から通いやすかった
・杉山産婦人科
┗前の病院の紹介。通いやすかった。中刺激。
・リプロダクションクリニック東京
┗高刺激。通いやすかった。最後の砦的な病院。
※不妊理由の検査をほぼ全部やったが問題点がなかった。そうなるとひたすら回数をこなすしかない。最終的に、培養に定評があり高刺激を実施しているリプロダクションに決めた。(加藤レディースクリニックも考えたが低刺激だったため辞めた。リプロがダメだったら次の候補として検討していた)
◆不妊治療で辛かったこと
①仕事をセーブした
実は1番辛かったのは、実は仕事をセーブしたことだった。その時の自分にとっての優先順位は、不妊治療に集中することだった。
旦那さんの転勤だったので、仕事を探しは正社員ではなく、休みを取りやすいアルバイトにした。アルバイトの仕事は基本的に事務的な作業で、言われたことを淡々とこなす。効率悪いな…とか、もっとこう改善したらいいのに…とか、いろいろ目についた。気楽だったが物足りない日々だった。後輩だった人達がめきめきと成長しているのを聞くと、嬉しい反面悔しかった。明らかに追い抜かれている感じがした。
「自分は次のステージに行ったんだ」
「未来のための選択なんだ」
いつも自分に言い聞かせていた。
②友達との距離感
私は不妊治療をしていることを割とオープンに話していた。でもやっぱり相手がどう受け止めるかがいつも気になっていた。
治療をしたことがない人にとっては、
「大変そうだね」
「大丈夫?」
言葉を選んでいる。明らかに気を遣わせている。
なんとなく哀れみの目で見られている気がした。
「そんなに辛くないんだけどな…」が本音。
でも、もし自分が逆の立場だったら同じ対応だっただろう。だからそう思われて当然だ。
それがとても居心地悪かった。
ちょうどコロナもあったので会わなくて済んだ。
そしたらすっかり疎遠になった。
だから同じ感覚で話せるnoteのフォロワーさん達が私の居場所だった。(感謝しかないです)
◆不妊治療中のモチベーション
とにかく淡々とこなしていた。
病院の先生からも言われたが
「落ち込まない。考えない。次に切り替える。」
先が見えなくて、ただただ回数を重ねるしかなかった。結婚してからここ数年、仕事もセーブして不妊治療を成功させることが私にとっての1番重要事項だったが、虚しくも月日だけが過ぎる一方で、ずっと暗闇だった。
他の人にどんどん追い越された。
つらいというより羨ましかった。
とにかく羨ましかった。
移植して陰性だと、その次の週には日帰りか泊まりでとにかく遠出した。現実逃避。
ダメだったことは引きずらないようにした。
◆不妊治療して良かったこと
何と言っても旦那さんとの関係だ。
沢山話し合って、いつも二人三脚で前に進めれた。
たぶんすぐに妊娠出来ていたら、私達の絆はもっとぜんぜん浅かったと思う。
はじめは私も全く分かってなかった。旦那さんも「すぐに出来るだろう」と思っていたから、温度感も低かった。
病院に一緒に行ってもらい、一緒に先生の話しを聞く事で「不妊治療は夫婦でやっていくこと!」の当事者意識が出来たと思う。空いてるときに調べた情報のURLなどバンバン送って知識を共有した。
回数を重ねるごとに旦那さんもいろいろ調べてくれて、いつも同じ温度感で進めていくことが出来た。
あと、それに追加して落ち込む私を「どうしてあげることが1番いいか!」をいつも考えてくれた。
多くを語らず黙って側にいてくれた。
私が意見を求めたときはちゃんと向き合って話してくれた。
ダメだったときは私を外に連れ出して気分転換をさせてくれた。
旦那さんにたくさんサポートしてもらって、夫婦としてはものすごくランクアップした気がする。
◆
この人の子供だから産みたいと思えた。
この人に子供を抱かせたくて頑張ろうと思えた。
この人とだから子育てがしたいと思えた。
初めて着床した時(結局その時は流産になってしまったが)、旦那さんは号泣した。
「今までずっと我慢して私につらい顔を見せないようにしていたんだな」
たまらない気持ちになった。
流産したあとしばらく不妊治療に復帰できなかった時はお先真っ暗で流石に落ちたけれど、着床するという結果があった。だから前向きになれた。
◆最後に
不妊治療は努力して報われるものではないです。
やってもやってもダメなものはダメ。
とても残酷です。
私は、
やって良かったです。
やらなかったら子供は授かれなかった。
旦那さんともいまの関係を築けなかった。
不妊治療に正解はないと思う。
「自分達(夫婦)はどうしたいか?」
結局のところこの答えに尽きるかな。
※もし不妊治療を始めた方で、とくに高齢の方で
なにか参考になれば幸いです。
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