#20.英語
英語は私にとって簒奪の言葉だった。
バブルが終わり、低迷する経済状況のさなか、グローバル化が進む、グローバル人材が必要になってくると言われ始めた時代に生まれた。そのため、幼稚園から受験英語とは異なった、「英語に触れ合う」タイプの英語の私塾に通わされた。
そのおかげで英語に関しては同学年の生徒と比べて、抜き出た能力をもてたと思う。先生の発音がテープと違うことに違和感を感じて、自分で辞書の巻頭についている音声記号の読み方を覚え、カタカナ英語とはあまり縁がない生活を送った。
でもそれは受験まで。授業が受験対策用の英語勉強に方向が切り替わると、不規則動詞の暗記など非常につまらない勉強になった。覚えられなければ、叱られ続け、宿題をやらなければ机を叩かれ叱られて、毎週週末に不規則動詞を暗唱させられ続けれる。
英語は私から友達と遊ぶ時間を奪う簒奪の言葉となった。
「何故こんなつまらない勉強をしなければならないのか」
子供心にストレスが溜まった。終いには授業から脱走し、英語塾から逃走することもあった。そのような経験から、私は英語の受験用の教育を心底、嫌っている。そのため、英語の教育システムについては批判的に観察している。
でも英語は便利
とはいえ、当時の先生や英語を憎んでいるわけではない。
むしろ、英語には感謝している。海外の人とやりとりをする際に何語で話せばいいか困ったら、まず間違いなく英語を使う。それから論文や学術書は英語ですますことが多い。結果的に、コミュニケーションや情報リソースの言語は英語、というパターンが多い。
しかしながら、世の中はどこもかしこも英語一辺倒だ。プラグマティズムに支配され、世界には英語にはない素敵な文化や世界が華開いている。にもかかわらず、経済的な生産性に寄与しないということで、英語以外には目を向けてくれない状況だ。そう思うと、私の学友たちのように、幼い頃からチェコやフィンランドなどの非英語圏に留学を許されていた学友のお父様・お母様の心の広さを真摯に感じずにはいられない。
でもそのような実用主義の社会から道を逸れた人間だからこそ、英語を改めて見ると思うところはたくさんある。
全ては無理だが、限られた範囲で英語のそのような点を紹介できればと思う。
外れちまった悲しみに
結論から言えば、英語はゲルマン語の中でもイレギュラーな言語だ、ということだ。実用主義の正道を行くためにはゲルマン語の正道を最も外れた言語を学ばなければならない、というのが日本の外国語教育の実態なのである。
まず英語の大きな特徴の一つとして「名詞」「動詞」の境目が曖昧ということがあげられる。場合によってはここに「形容詞」も含まれる。そしてさらには「形容詞」=「副詞」というケースもある。これはいったいどうしたことだろうか。
例えば動詞に着目する。元来、英語が属するゲルマン語の言葉は「動詞であればこの語尾を使う」、「この形を使う」という決まりごとがあるケースが多い。
他のゲルマン語の例を挙げる。例えば動詞の不定詞は不規則なものを除き、スウェーデン語の"ha"や"arbeta"では"-a"で終わる。またドイツ語の"haben"や"arbeiten"では"-en"というような語尾で終わる。オランダ語の"hebben"や"werken"も同様だ。このような語尾を見れば、それが何の品詞なのか当てられるよう、100%規則的という訳ではないが、現代のゲルマン語はそれなりにシステム化されている。
しかし、一方で現代の英語には「基本的にこれが動詞だ!」と動詞を表す目印が標準装備されているわけではない。例えば、次の単語は名詞でもあり動詞でもある英単語だ。
Dog
Mother
Moon
"Dog"は「犬」という意味の他に「跡を追う」、"Mother"は「母」という意味の他に「〜の母になる」、"Moon"は「月」という意味の他に「フラフラ歩き回る」というような意味が動詞として存在する。
古英語を見るとこれらの単語は名詞としての歴史を歩んでいた。
Docga
Mōder
Mōna
しかしながら、いつの時代からかこれらの単語は名詞だけでなく動詞としても扱われるようになった。
"Online Etymology Dictionary"によれば、"dog"は1510年頃に動詞として辞書に掲載されているらしい。"mother"は15世紀初期、1600年頃に"moon"が動詞として記録されているようだ。従って、中世の英語にはもう動詞と名詞を語尾で区別する習慣は形態上、必須ではなかったようだ。
英語クレオール説
そのため、英語も言語接触により生まれた一種のクレオール語なのかもしれない、と思う。私は個人的に、英語はもともと北欧人との交流のために、昔のブリテン島の人が用いたピジン言語に起源がある、という考えを持っている。現代の英語までに通じる、動詞と名詞の境界のあやふやさはこの時代に形成されたのではないか。
動詞の語尾が消えた可能性の一つとしては、近縁の言語との接触があげられる。いわゆるバイキングたちの言語である。8世紀からデーン人たちの進出により、ノルド語との接触が増えたブリテン島の人たちは11世紀になると、クヌート王というデンマーク人の支配下に入った。
では実際、当時の英語とノルド語ではどの程度、意思の疎通ができたのだろうか。ヘイムスクリングラから引用された文章をそのまま古英語に置き換えてみた。従って、学術的な正確さは担保されていないのでご容赦願いたい。
うーん、分かるだろうか。
上記を見る限り、おそらくセンテンス単位で会話した場合、コミュニケーションは取れなかったであろう。ただ、ゲルマン語由来の共通する語彙は単語単位ではなんとかなりそうだ。
『英語の歴史 過去から未来への物語』の著者、寺澤は語幹だけであれば、古英語とノルド語で最低限の会話ができた可能性を紹介している。詳しい説明は中公新書の『英語の歴史 過去から未来への物語』を読んでいただきたい。寺澤は同じゲルマン系の単語は形が似ており、語幹だけであるならばある程度意思は伝えることはできただろうとこの見解を紹介している。
「...英国人と北欧人との接触で、語の中核部分(語幹)だけでもある程度意思を伝えることができるため、語尾の部分を簡略化させたとしても不思議ではない」
寺澤盾『英語の歴史 過去から未来への物語』kindle版 25% No.654/2697
従って、動詞の語尾を取り除いて語彙として取り込む、という習慣は既に古英語時代、英語に備わっていたのでは、と想像する。
ノルマン・コンクエスト
もちろん、すべてのフランス語から借用された動詞がその例に該当するわけではない、ということはこの場で一言断っておく。実際に後々には"declaren"のように「フランス語の動詞+ゲルマン語の"en"語尾」というタイプの動詞が発達する。
1066年に大ブリテン島にノルマンディーのフランス人がやってきた。イギリスの宮廷に中世のフランス語が持ち込まれ、英語に大量のラテン語やフランス語由来の単語が流入することとなった。ノルマン人による大ブリテン島の支配は古英語時代からある言い回しをラテン語系列の単語に置き換えたり、英語の言語構造に大きな影響を与える役割を担った。
しかしながら、ノルマン・コンクエストの後、英語はフランス語やラテン語だけでなく、イタリア語やドイツ語など大量の外国語の影響に翻弄されることとなった。その中で英語は近代英語時代に至るまでに、ゲルマン語本来の性格(格構造)や新語彙を派生させる能力を衰退させてしまった。例えば現代の英語同様に、古英語にあった属格は、その名残である"'s"が名詞に確認できるだけになった。加えて、品詞の境目が曖昧になった。例えば上記の「ゲルマン語の"en"語尾」は消滅した。
Googleからみる英語
ところで、昔、パソコンに詳しくなかった頃、英語の文を見てびっくりした単語がある。
それは"google"だ。それが動詞の位置にあったのである。
なぜかというと、これは企業名だからだ。現代の英語では近代にかけて、品詞の境界が曖昧になったことを紹介した。そのため、英語ではこのような企業名でも、ときとして動詞として使い、ときとして名詞としても固有名詞としても使っている。
英語が型破りなことは他の言語のGoogleをみると分かる。他のヨーロッパの言語もGoogle社の知名度向上に伴い、それをそのまま動詞として借用しているケースがある。だが、いずれも品詞の区別は明確だ。
ドイツ語 = googeln
ロシア語 = гугить(guglit')
フランス語 = googler
スウェーデン語 = googla
ちなみに日本語は「ググる」だ。
英語の越えられない壁
英語は、自然言語界のアバンギャルドだと思っている。度重なる民族同士の交流、異なる言語とのおびただしい影響から、他のヨーロッパの言語には見られない飛び抜けた特徴を持つようになった。
思い返してみれば、英語はインドネシア語やハイチクレオール語、エスペラント語のように、ヨーロッパの中でも「ユーザー・フレンドリー・ランゲージ」に本質的に近いのではないだろうか。
ただ、英語の問題は第一に中途半端だということ。上記の品詞の境目が曖昧という点がすべての単語に共通するものではないというのが難点で、その分イレギュラーばっかりという印象が拭えない。勉強に時間がかかる。第二に綴りがヨーロッパ最強クラスの複雑さだということ。第三に社会の経済競争に組み込まれていること。例えば英語が公用語になっている、非英語圏の国では英語ができるかできないかは経済格差に直結する。
終わりに
このような問題を解決するために「ベーシック英語」の開発なども進み、人工的に英語を改善しようとした努力もある。しかし、自然言語の改良版であるため、やっぱり英語という印象が強すぎるし、英語話者にとって学んだ「本物の不規則な」英語を手放す理由が何もないのが現状だ。
もし、この三番目の問題がなければもっと楽しく英語の勉強ができたのではないか。英語自体は歴史も構造もとても面白いのに、受験戦争や経済問題と結びつけられてしまっているがために、言語の外で風評被害に常にさらされている。
子供の頃は大変だったけれども、英語について考えることは人間の社会と経済の問題を考えることに繋がっている。
ありがとう、私の家族。
参考
寺澤盾『英語の歴史 過去から未来への物語』(2008)中公新書
Old English Translator https://www.oldenglishtranslator.co.uk/index.htm
オススメ
英語の勉強は星の数ほどあるので何も勧めません。
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