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"Kiči Bijčiek" jazyšyha karaj tilini ochujm/『星の王子さま』でカライム語を読む

照りつく太陽が顔を出し、風も道路も陽炎が上がるまで熱し始める数ヶ月前のこと。

とうとうフィルコヴィチウスの『私はカライム語を学んでいます("Mień karajče ürianiam")』という本を入手し、カライム語の勉強を少しずつ始めた。

もともと言語の再活性、言語の復興という観点からカライム語に興味を持っていたのだが、「もうそろそろちゃんとした文章が読みたい」。そう思い、フランス語原文+日本語訳と取り寄せたカライム語の『星の王子さま』をこの際、ひっそりと付き合わせてみた。

なお、『星の王子さま』のカライム語版についてはHalina KobeckaitėとKarina Firkavičiūtė訳の二〇一八年のものを参照している。『星の王子さま』のフランス語は下記を参照にしている。

カライム語について

まずカライム語はリトアニアやポーランドで話されるテュルク諸語に属する言語の一つだ。キプチャク語群という下位分類に分類され、さらにその下のキプチャク・クマンというグループに分けられる。同じグループに属している言語としてはクリミア・タタール語やカラチャイ・バルカル語がある。

さて、今何人くらいがどこでカライム語を話しているのか?カライム語は伝統的にはウクライナ、ポーランド、リトアニアで話されていた言語だが、現在のカライム語の最も有名な場所としてリトアニアのトラカイで話されていることでよく知られている。

とはいえ、カライム語がリトアニア人やラトガリア人の言語であるということでもない。カライム語は歴史的に民族的なリトアニア人やテュルク系の民族の言語ではなくユダヤ人たちの言語に属している。

カライム語は語族の分類とは別に民族言語学的な見地から「ユダヤ諸語」という用語でまとめられることがある。有名な他の言語としてはヘブライ語とドイツ語の方言が融合したイディッシュ語や一四九二年にイベリア半島のレコンキスタの結果、ヨーロッパから追放された古いスペイン語をしゃべっていたユダヤ人たちがアフリカやバルカン、中東で保存し独自に発展してきたユダヤ・スペイン語、あるいはラディーノ語と呼ばれる言語がある。ウズベキスタンではブホリと呼ばれるヘブライ語由来の単語を交えた、タジク語の変異種をしゃべるユダヤ人たちが細々と暮らしている。

カライム語はそのテュルク系と考えて貰えば早いと思う。

しかしながら、イディッシュ語やラディーノ語と比べ、カライム語の将来は悲観的に見える。話者の数がかつてカライム語を紹介した昔の記事(グローバルボイスのエスペラント語版からの引用で発言者のチャプロツキー氏)によれば、リトアニアではカライム語の話者は二〇名ちょっととなっているようで、消滅の危機にある。

細々と夏合宿が開講されたり、一部のソーシャルメディアなどではKaraj Awazyなどカライム人向けのメディアが残っていたりと言語を育てるベースメントが消えたわけではないが、カライム語での活発なやりとりが行われているわけではなさそうだ。

琥珀の中の蝿

ところで、カライム語の特徴を喩えた素敵な言葉がある。

「琥珀の中の蝿」———

フィルコヴィチウスが述べるところによれば、テュルク諸語におけるカライム語の重要性をこのように喩えたのはポーランドの言語学者タデウス・コヴァルスキらしい(1)。

その理由はカライム語の特徴の一つは語彙の古めかしさにある。カライム語は周囲のテュルク系の語から切り離されたため、古い語彙が保存されているらしい。チャプロツキー氏によれば一九二四年にケマル・アタテュルクの指示のもと、トルコ言語協会がトラカイを訪れた。その結果、三三〇のカライム語の単語がトルコアカデミーの辞書(la turka akademia vortaro)(2)に取り入れられたとチャプロツキー氏は答えている(3)。

星の王子様のカライム語

琥珀の中に閉じ込められた、という素敵な表現とは裏腹に、本を読む限りカライム語は周囲の言語からかなりの影響を受けている。借用語は言わずもがな、『星の王子さま』のカライム語で用いられているカライム語の文法構造は、テュルク語的というよりもより印欧語的である。特に関係代名詞を使う書き方は、トルコ語やウズベク語の「用言」と「体言」のような関係性とは異なる。

英語やリトアニア語、ポーランド語といった印欧語は関係代名詞を用いて関係節構造を作り、より複雑な表現を可能とする。だが、日本語がそうであるようにテュルク語も関係代名詞を用いずに関係節構造を作ることができる。そのため、当初はカライム語も関係代名詞を用いない言語だと考えていた。しかしながら、『星の王子さま』を読むと、そのイメージは崩れた。

例えば、レオン・ヴェルトに対する「献辞」の中でも、その非テュルク的な印象が強い。

...bu bitikni nijet' ėtiam kiči ulanha, kaysyba bu aharach adam ėdi.
(...この本をこの大人だった小さな子供へ捧げる)
bu bitikni: この本を bu bitik-ni acc.
nijet' ėtiam: 捧げる nijet' ėt-AOR-1st sing.
kiči ulanha:  小さな子供へ kiči ulan-ha ulan-DAT.
bu aharach adam ėdi : この大人だった  ėdi past 3rd sing. 
kaysyba ※関係代名詞?

このうち、kaysybaの後に文が来ていることから、このkaysybaは関係代名詞として機能しており、ulanhaと関係しているのだろうと考えた(4)。少なくとも「献辞」の中では他のテュルク系言語のように動詞を変化させ、形容詞のように名詞を修飾させるということを徹底的にしない。

なお、他のテュルク系言語でも見られる引用の"ki"はカライム語の『星の王子様』では多用される。これにはリトアニア語の"kad"やポーランド語の"że"などの周囲の印欧語からの影響が考えられる。

しかしまず、これを鑑みるにはまず訳者自身が母語話者でない可能性も考慮に入れたほうがいいのかもしれない。そのため、本来の母語であるリトアニア語などに引きずられて、関係代名詞を多用する訳し方になっているのかもしれない。

またそもそもの話として、カライム語の動詞が形容動詞のように体言を修飾できる形が存在するのかが、現在の学習状況では不明だ。少なくともフィルコヴィチウスの『私はカライム語を学んでいます("Mień karajče ürianiam")』では、関係代名詞の使い方や形容動詞が登場しない。そのため、"より"正しいカライム語がどうなのかはわからない。

いずれにせよ、「正しい」カライム語という議論ができるレベルには私自身が達していないので、一旦ここで筆を置くことにする。

参考・脚注

(1)Fikrovičius, Mykolas "Mień karajče ürianiam Aš mokausi karaimškai", Vilnius, 1996, p.15
(2)「トルコアカデミーの辞書」という訳はエスペラント語の"la turka akademia vortaro"の直訳であり、どの辞書なのか、そしてなんの単語が採取されたのかまではこちらで確認できていない。そのため、個人的にどの程度カライム語の語彙が「古い」のか確信には至っていない。
(3)Filip Noubel, Stano BELOV
"En la koro de Eŭropo endanĝerigita tjurka lingvo plu vivas" https://eo.globalvoices.org/2020/11/9903/?fbclid=IwAR0BTPXVKxWjZFwziMqGuZbsnxob53RcoLqo_N_g0yyb0heFLewVztxJRd0
(4)先行詞が"ulanha" であると考えているが、なぜ具格のjaysybaを用いているのかはわからない。先行詞と格の一致ここでもし"jaysy"であれば、これが主格であることを明示しているので"ulan"との関係がわかりやすいが、なぜ"jaysy"の格助詞が"-ba"なのか筆者は理解できていない。原文は"à l'enfant qu'a été autrefois cette grande personne"。ここから見ても逐語訳に近い訳し方をしていると思われるが、jaysyをなぜ主格で用いなかったのかは謎である。

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