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ギフテッドではない、ことがきつい

次男について書いたところ、よっ天才!と言っていただけたりして、変わり者の次男も含め、楽しそうに暮らす我が家が目に浮かんだのかもしれないが、最初のうちは、「え。こやつ、どうしよう」と思うことのほうが多かった。

今回はその話。
水中でもがく脚の部分。だからちょっと見苦しい。

すっごいキレ散らかす病

次男が「ちょっと変わっている」とか「1日中なにか作っている」というところまでは、特別わたしも困ったことはなかったが、それなりに困ったことも、数年前までまあまあ頻発していた。

まず
次男はすっごいキレる

キレる理由が、また厄介で。
沖縄に行った際には上機嫌でうきうきとビーチに出たものの、3歩くらい歩いたら「サンダルに砂が入ってきしょい!!うがー!」とか、プログラム教室の体験に行くと「(楽しすぎたため)終了時間が来たことが許せない。うがー!」とか、「きょうは学校で委員会があるのでいきたくない。うがー!」とか。

いやもう、やばいやつでしょそれ。というような理由でキレる。

で、キレた結果

1:暴言を吐く。「しね」は当たり前。プログラミング教室では「ここを爆破してやる」と捨て台詞を吐いて帰ったし、長男は小学校で校長先生に向かって次男が「口が臭いんじゃ、ばばあ」と言っていた姿を目撃したと言っていた。
どんな教育をしたらそうなるのか、親の顔が見たいだろうと思う。

2:逃亡する。腹が立つととりあえず逃亡する。あげくに方向音痴。引越したばかりの土地で習い事教室から逃亡した時は、警察に連絡しようかと思ったくらい。出雲に旅行した際も、「そばは食いたくない」という理由で出雲大社付近で逃走。わたしも土地勘ゼロという恐怖。出雲そばくらい一緒に食べてほしい。

3:ボイコットする。びっくりするようなことをボイコットする。例えば学校ではちょいちょい給食を「食べない」らしい。先生から申し訳なさそうに電話が来るけれども、「ほっといていいです。ほんとに申し訳ないです」としか言えない。食べたらいいじゃんと思うけど、食べない。で、帰宅してひもじそうにしている。

キレる理由もやばいけど、キレた後もやばい。
だから最初は叱ったりもした。

「サンダルが気持ち悪いくらいで、この沖縄の楽しい雰囲気を台無しにすなー!ぼけー!(休み取る大変さとか、どえらい金額をかけているとか、おまえしらんだろー!!は、かろうじて飲み込んだが)」とか

「委員会があるとかしらんわ。つべこべ言わずに、いいから学校にいけー!」とか

学校が嫌だ・勉強ができない問題

キレる以外の困りごととしては
学校に行きたい日と行きたくない日がある問題もきつかった。

「今日は国語が2時間あるからいきたくない」と朝いきなりごねられても。以前は、私も急には休めなかったし、朝から大事な会議もあるし。留守番で置いていったとしてもお昼ご飯とかどうしたらよいかわからないし。で、本当に困った。
涙目になった様子を見ると気の毒にも思ったがどうにもならないので「いいから行ってこい」というしかなかった。

学校に行っても、勉強しない問題。
これも結構しんどかった。字が書けない(ディスグラフィア)とわかった時は焦った。「え。じゃあ受験して大学とか高校行くとか、無理ってこと?中卒???」とか、私も普通の日本社会の親として焦ったし悩んだ。

2年生になって、九九がまったく言えるようにならなかったときは、ちょいスパルタ練習もしてみた。他の子は全員できたからこの学年で最後の1人だと聞いて、九九も言えずにこの先どうするんだとめちゃくちゃ焦った。が、スパルタ方式は圧倒的に親子関係が悪くなっただけだった。

学校が嫌ならばと、長男と一緒に家庭教師先生にみてもらうことにもした。が、毎週、開始10分であきらかに魂が抜けていき、先生を困らせていた。なぜだ、粘土や工作は3時間くらい集中できるのに、なぜ10分で魂が漏れだすんだ。理由がわからなかった。

わたしはその都度、調べたり人に話を聞いたりして、何とかしようとした。特別優秀じゃなくてもよいから「ふつう」の枠内に収まる方法を考えていた。

が、どこでだったか。おそらく複合的な理由で「あ。違うかも」と気が付いて「ふつう」の枠内作戦をゆるやかに終了した。2年生の九九地獄あたりだったかと思う。

心の整理をつけた方法(わたしが)

こうしたやばい問題に対して、どのように心の整理をつけたか。次男ではなく私が。

1:変わっていることに名前があるとしり、そういうものだと知識を付けた
当時、ちょうど仕事で発達障がいに関わっていたこともあり、そういう「障がい?」があると知った。以来、本を読んだり専門家に話を聞いたり私が知識を付けた。「変わった個人だ」と思っていたが、ある程度グルーピングされていて名前もついていることがわかり、原因もあるようだった。「なーるほど」となった。

さらに、彼ら彼女らは世界がどう見えていて、何が嫌かも調べた。医師やらなんやらの人たちのおかげで、すでにある程度、その世界が判明していてありがたかった。肌触りがチクチクするのに敏感だとか、音がうるさく感じるとか。で、ならば無理強いしてもだめじゃん!と、仕組みを紐解き、まず頭で理解ができてきた。

2:客観的かつ的確な友人が、諦めず語りかけてくれていた
友人MMさんは長男についても次男も、長女も。それぞれを客観的に見ていつも言語化してくれていた。何年も取っ散らかっていた私も、ずっとそれらを聞いていると、3人それぞれであり、いまいちなところはいまいちだし、いいところはいいところ。以上!という感じがつかめてきた。どこに向けて何をフォローすればいいのか、という考え方になっていった。

ほかにも、わたしは週1回加圧トレーニングに行っているのだが、そこで同年代のママトレーナー先生に、ストレッチとかしながら「いやー。次男がぁ」とかふわっと心の内を話していた。次男が生まれたころからの知り合いなので、聞いていただくだけでなんだか心強かった。体を動かしながらだと、意外と本音がだだもれる。親も子も10年以上の付き合いの中では、周囲の人も含め、うまくいっていることもあればそうでないこともあり、それは「それぞれで、それぞれに合っているのだ」と思えた。うまくいえないけど、どこへ進んでも結果オーライっぽいとか。元気ならいいよね、ってなるような。

SNSで皆さんに、次男の様子の投稿に対して「なんて素敵!」「そのままで!」と10年も言い続けてくださったことにも背中を押してもらった。

3:仲間がいた
1の過程で教わった、代官山にある「Branch」さんという場所にしばらく通った。次男に近しい分類であろう子供たちがいっぱいいて、保護者のみなさんが温かに子どもを見守っている様子を目の当たりにした。変わった種族の母であることは、恥ずかしいことでもないし、なんのことはない。現代社会において困ることは多いけど、「中学がダメなら、じゃあN中はどうだ」とかみんなで別の手を考えていた。仕事をしている時の私は、「問題が起こったらどう解決すれば一番よいかを考えるだけだ」と思えるのに、子育てにおいてはそれができていなかったことも認識した。反省した。

あのITの申し子のような次男に、なぜ、九九を覚えさそうとしていたのか。計算なんてとっくにSiriでやれていたのに。と今なら思う。

4:怒ると逆効果というデータが溜まった
2年くらい怒ったりしているうちに、「いいから学校に行け」と無理やり学校に行かせた日に限って、クラスメイトとトラブルを起こしたとか、音楽の授業に出なかったとかで学校から電話がきたり、あげく「体調不良とのこと、迎えにきてください」となることがわかってきた。怒って無理やりやらせればやらせるほど、問題がむしろ大きくなるという統計がとれた(気づきがおそいが)。
じゃあ、朝の段階でこちらが腹をくくって休める手はずを整えたほうが、結果として、わたしもラクじゃん!となった。

データと言えば、学校の「特別支援」のある先生からの情報も、私のインプットとして助かった。おだやかで子どもが好きそうな男性の先生で、いつもやさしく辛抱強く次男に語り掛けてくれていた(他校へ行ってしまったが)。学期ごとの面談で先生からいろいろ教わった。たとえば「次男くんのやりたくない勉強への集中力は最初の10分。だから算数なんかは最初の10分が勝負だと思っています」とか。「へええええ!」と思った。なるほど、10分はいけるのか(10分越えたらだめなのか)。だから家庭教師先生の開始早々で魂がぬけるのか、ふむふむ。あるいは「週末おうちでクッキーを作ったと楽しそうに話していた」とか聞かせてくれた。ゲーム以外で何が好きかいまいちわからないぐちゃぐちゃ時期は、そういった情報が大変役立った。第三者はすごい。

データをもとにすれば、字が書けるためのトレーニングも、やればやるだけフラストレーションがたまり、すぐ噴火して意味がないとやる前に予測ができた。とある有名な先生に診せるところまでやってみたが、トレーニングはやらないことにした。

5:イレギュラーへのトライもしてみた
「字が書けないのなら、書けるように練習しよう」が無理なので、小学校に「タブレットを持たせたい」と相談にいってみた。

今でこそコロナを経て「タブレット普及」は、学校の立派さの象徴化しているが、その少し前までは「あんなもん、こどもに持たせていいことなんてまるでない」というのが、教育関係者のデジタル機器に対する考えの主流だったと思う。たぶんね。

厚い壁を突破するには、それなりのパワーが必要だったし、他校の事例など下調べも入念にした。お願いの文面や資料もそろえた。そして、そもそも校長に「ばばあ!」と言い放った息子の件で校長室に依頼にいくのは、いくら私でも気が引けた。株主への説明より嫌だった。「こちらが例の親の顔です。どうぞ」の気持ちで行くしかない。

「書けないけど、入力はできる」という本人によるデモンストレーション込みのプレゼンと、「タブレットは自前で用意し、なくしても壊しても学校に一切文句は言わない」という誓約書への押印。これに加え学校も「ICTっぽいことしなくちゃ」っていう焦りがあったタイミングだったようで、意外とうまくいった。「ばばあ」の件には触れずに済んだ。

しかし、タブレットを持って行ったら勉強ができるようになるわけでは全然ないし、先生が期待するような「タブレットで見違えるほど積極的に授業に参加するようになりました!」というわけではない。当たり前だ。次男の気質がかわるわけではない。
ただ、「いいか。おまえさんは字が書けない。しかし代替手段はある。だから書けないくらいのことをピンポイントでわざわざ恥じることでないし、言い訳にもできない。むしろ代替手段のパイオニアとして堂々としてたらいい」というニュアンスは次男に伝えられたと思う。やってみてよかった。

6:コロナ襲来が吉と出た
そうはいっても、「これでいいんだろうか」とか、わたしがぶれて一進一退を繰り返している時に、コロナがやってきた。私も夫も家にいることができたし、次男は学校に行かなくてよくなった。驚くべき平和が訪れた。「これだ!」とつかめた感じがした。学校に行かなくても学習としてできることはあるし、会社に行かなくても稼ぐ手段はある。いい具合に実験ができた。

次男に魚をさばく方法や手芸を教えたのも、コロナ禍だった。家にいて暇だったからだけど、次男が生き生きしているのがわかった。家庭科や図工、理科を楽しめているのは、このときの検証結果があってこそに思う。

コロナ休校で感覚がつかめた私は、2年前に思い切って自分が経営する会社も事業もすべて売った。フリーランスのほうが、次男のこともそうだが、長女の小受やら、長男の高校受験やら、そのたいろいろフットワーク軽く動けると読んだ。コロナがなかったら選択しなかった手段だと思う。関係ないけど、おかげで猫も飼えた。しかも2匹。

にゃーにゃー

1~6の修行と学びを経て、わたしの行動が変わると、次男はまず劇的に「キレ散らかす」ことが減った。学校の先生も家庭教師の先生も、「落ち着いた」と口にした。周囲とトラブルを起こしにくくなり、みょうちくりんな「こだわり」も減ったように思う。新しい服も前よりはすんなり着られるようになったし、休めば次の日は気持ちよく学校に行ったり、週に1回平日に休むことで、いやな日を自分でコントロールするようにもなってきた。ゲームがしたいと思えば、朝自分で5時に起きてゲームして8時に学校に行く。まっとうだ。
完全ではないが、人や社会に抵抗を示すことが減ったのではないかと思う。

とはいえ、私は計画的に1~6ができるタイプではない。だいたい全部、感覚で動いており、今書いていることは結果に対して後付けしているにすぎない。

ギフテッドにすがりたいが、そうでない

次男のような「変わった子」が、制作物なんかをしていると、「まあ素敵。きっとギフテッドね」なんてことになりがちだし、励ましてくれているんだけれど、実際はギフテッドではないと思う。生まれた時にギフテッドと一目でわかる、たとえばくるぶしに星型の痣があるとか、三賢者が伝えに来るとか、そういう印があればいいのだけれど、あいにくギフテッドはあいまいな概念でしかない。見分けがつかない。

親としても、社会不適合者よりはギフテッドということにしておきたいが、それはそれで貫くとなると苦しい。よく例に出てくる「さかなクン」のように四六時中「さかな」だったり、昆虫のことは何でも語れる子だったり、マイクラで見たこともないコマンドを高速で打つ子だったり。そんな感じがあれば多少はギフテッドかも?と信じられるかもだが、やっぱり稀有だと思う。

次男の興味は散らかるし、範囲も広い。さらに、飽きたり戻ってきたりの繰り返しで、家にはいろんな「道具」がたっぷりだ。あれもこれもやってみたいし、嫌になるし、またやってみたいの連続。

魚をさばいていたかと思えば、翌日は、ガンダムの細かい色塗りをしている。また翌日は「いらない洋服をくれ」といって縫物をはじめて、その次の日は粘土。10日くらいゲームに没頭したかと思うと、「久しぶりに3Dプリンタしたい」とか言い出す。

凹凸があるのは感じるが、「凸」の部分は目が覚めるような天才ではない。各種準備は面倒くさいし、お金もかかる。道具は保管場所も取る。これをやらせて次男の「幸あれ」につながっていくかも正直見えないし、「ひえー」って思うことも多い。やりたいことを仕事中に何度も話しかけられると「いら」っとだってする。

現に今日も学校を休んで、近所でイカを買ってきて、お昼ご飯を作ると言ってキッチンでごちゃごちゃやっているが、「バターはどこ」「ここって食べれるっけ」「いぼいぼが取れない」と、3分おきに何か聞かれてまあうるさい。

さかなクンのお母さん、マジでこれに付き合ったのか?あなたご自身の仕事やお金はどうしたんじゃ。他の兄弟はいたのか?
それを乗り越えたからすごいと称賛されるのだろうけど、見えない物に時間・お金・体力・気力を、あげくに外の物差しと闘いながら続けていくのは並大抵のことではない。

我が家で言えば、兄・妹からの不満にも備える必要がある。
兄妹たちからは、なぜ、次男は本日、家にいてイカの醤油バターを作っているのか。それはずるいんじゃないか?という意見もあると思う。「おれだって、学校に行かなくていいなら行きたくないわ」と長男は思うかもしれない。

しかしだ。長男に「じゃああした休む?」と聞けば「行く」と言うに違いない。彼は「学校に行かなくなる」なんて結局、恐ろしくてしたくないと思う。そこから外れるのは「面倒くさい」と考えそうだ。長女はまだよくわかってない。

実際はそうでも、やはり不満は出るし、次男だけ特別扱いに感じたりもしがち。「それぞれが特別だ。とくべつなオンリーわーん♪」という語り掛けや事実の積み重ねを私は24時間体制で留意している(24時間はちょっとうそ、だいぶうそ)。

夫と私で意見が一致しないことだってある。
そもそも夫は「ふつう」の枠組みをあきらめていないというか、それ以外を微妙に思っているかもしれない。いや、それ以外を想像していないかも。わかんないけど。でも夫も、「次の出張(平日)は、次男を連れていくかなー」とか言っているので、「次男はああいう生き物だし、それなりのやり方で何か伝えよう」と思っている感じはする。まあ、こういうのは話したところですりあわせられるものではない。日々のニュアンスの積み重ねと、問題が起こったときに具体例としてどう取り扱うかを、なるべく喧嘩にしないで越えていけたらいいと(わたしは)思っている。

それに、なんだかんだ言って、夫はピンチが来たら機能するだろうというような信頼感がある。なんも考えていないけど、だから強いというかんじ。

わたしができることは、夫とも、長男・娘とも、良い関係性で気持ちよく暮らすことだとも思う。そのためのそのためにできるのは、わたしの心身の安定だ。とはいえ、いよいよ更年期差し迫り、結構これまた難しいのだけれど、なるべく心身を健康に、一定の気持ちを保てるようにと思っている。運動してサプリや漢方だって飲んだりする。キッチンで晩ごはんつくりながらのんじゃうんだけど、よしとして、「指輪かってほしい」と夫に言ってみたりしているのも、煩悩ではなく心身の安定のためだ(うそ)

で、次男のイカの醤油バターも完成し、おいしそう。

上手に皮がむけていた

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