見出し画像

長男、成長につき

中学3年生の長男が、最近、急激に大人になっている気がする。
そして、なぜか母はさみしい。

こどもが成長をするのなんてあたりまえだし、そうはいっても私は子育てを15年近くもやっている3児の母である。”這えば立て・立てば歩め”と、3人の成長を文字通り目を細めて喜んできたはずだ。

しかし近ごろ、「10年前の今日」とかいって、スマホ画面に急に幼い頃の長男の写真が出てきたりすると胸が詰まる。なんだこの感情は。幼き長男のロス状態と言えばよいだろうか。
きもちわるいので、この感情を分解したい。

思い返せば、2年前(2021年)に長男が小学生から中学生になった春は、まだ背丈もわたしより小さく(長男は当時、背が小さかった)「こども」の部類だったと思う。

それが、昨年(2022年)のお正月頃、私の視界を遮るものがやけにうろちょろして鬱陶しいなと思っていたら、いつの間にか長男の背丈が私と並んでおり、そしてほんの数週間で追い抜いていった。この時もまだ「伸びたねぇ~」なんて言ってのほほんとしていた。生物的には成長したが、まだまだ幼かった。

しかし、長男の背丈の伸びとは違う、表現しがたい急激な変化がここ数ヶ月で起こっている。

まず、少し前に突然ゲームをやめて勉強しだした。塾へも行くという。私は自分が若い頃に貧しく塾に行けなかったので、「塾代はいつでも出す。ばっちこい」と子供たちに言ってあったが、のんきな長男は「塾はいいわ。めんどい♡」とかいって取り合わなかった。それが突然、塾へ週3回通い始め23時少し前まで勉強して帰ってくるようになった。帰宅後お風呂から上がって、そろそろ寝たかな?と部屋をのぞくと、まだ勉強していたりする。

息子に「勉強せよ」と言っても良いことはまるでないことを私が悟ったのは2年前だ。言うだけお互い気分が悪いしろくに成果も出ない。だから「もう言わない。自分の人生だ、がんばれ」といって放っておくことにした。もちろん長男の学力を諦めたわけではないので、やきもきしたし、定期テストの結果や成績表を見て私は焦った。でも「勉強せよ」は言わないことに決めた。

3年生になってもゲームして、部活して、友だちとゲラゲラ笑ってばかりでなにも変わらなかった。少し前に「希望校を夏までに先生に出さないとらしいよ」と言った時も、「いっぱい学校があってわからんなぁ」とか寝ぼけたことを言っていた。

なのに、急に何かのスイッチが入ったらしい。

さらにいま、部活も引退の時期がきた。これまで「絶対に見に来ないように」と言われていたので、息子のバレーボール部の様子は見たことがなかったが、先日、最終戦が近いからか顧問の先生からアプリ宛に試合スケジュールが届いた。場所と時間がわかればこっちのものだ。夫を誘ってそっと見学に行った。

びっくりした。
バレーボールそのものが抜群にうまいわけではないが、息子はみなに声をかけ、盛りあげ、負けそうになってもイライラすることなく、いいプレイが出ればその子のところに駆け寄ってハイタッチをしたり、失敗した子の肩に手を置いて「どんまい」とか言って、全体に気を配ってまとめていた。アタックはほとんど打たないが、確実なサーブを決めていた。副キャプテンだそうだ(あんまりうまくないけど ※しつこい)

部活なんぞ、体力づくりや良い姿勢の維持、ありあまる元気の発散のためと思っていたが、しっかりと息子の世界ができていて、息子なりの活躍もしていた。

家で見せぬ顔に驚き感動したので、私の父(息子の祖父)も誘い、次の週も観戦に行くことにした。息子からは「もうこないで。っていうか、なんでこのあいだ急にきたのよ。今週は相手がK中(←私立の名門校)だから、絶対負けるし。マジこないでよ」と強めに念を押された。父には私から「K中とらしいから、ぼろ負けすると思うけれど…。でも最後だし行ってみよう」と伝えておいた。

相手は部員数も多く、ユニフォームもなんとなくカッコよかった。息子はごく普通の区立中で、じつはバレーボール部の3年生は3人しかいない。ユニフォームも自分の物ではなく歴代パイセンの着回しで、2年生を混ぜてようやく6人にしているチームだ。疲れても交代するほどの人手がない。そんなだから、もちろん1セット目はあっさり負けた。父は「やっぱりスポーツは私立のほうが強いのかねぇ」と言った。

わたしはやられっぱなしで終わらず、せめて1セットくらい取らせてやりたいなといらぬ親心満載で見ていた。

2セット目。なんと序盤3点リードした。
こちら側の保護者席がざわつく。

しかしすぐ同点。やっぱだめか。
いや、またリード。

「え。まさか、、、あるのか!?」
夫と目が合い、ちょっとだけ期待がにじむ。顧問の先生も声を張りだす。立ち上がる。
1セット取らせてやりたい。みなそう願っていたと思う。

しかし相手もさすが。
すぐまた逆転される。
リードされた場面で、先方にミスがありサーブが息子にまわってきた。

差は3点。
1本目、ラインギリギリに決まってサービスエース!
次は先方のミスでもう1点。息子のサーブが続く。そしてついに逆転した。

なんとそのままの勢いで25点となり、1セット取れてしまった。
味方の保護者席は狂喜乱舞。
まさかのまさかだ。

そして3セット目。
先方がフルメンバーを出してきた。本気だ。

リードする、逆転される。繰り返す。
もうここまで来たら勝て!いや、負けるな!とにかく自分にも相手にも負けるな!競ったのなら取ってしまえ。

そして。なんと取ってしまった。勝ってしまったのだ。

総当たり戦のひとつでしかないので、大した話ではないのだけれど、こちらチームは優勝したかのような喜びよう。他校の生徒さんも番狂わせにびっくりして集まってきた。先方の保護者席は「まさか」と唖然。

わたしは保護者席で小躍りしていたし、父はちょっと涙ぐんでさえいた。夫も拍手喝采、みな興奮していた。超絶プライベートなW杯・五輪・WBCクラスの盛り上がり。

ふとコートの息子を見ると、笑顔でチームのみんなに声をかけていた。下級生の肩をポンポンと叩いたりして、落ち着いていて大人みたいな顔をしてた。

すごいなと思った。私たちはギャラリーで好き勝手言って応援していただけだし、先生もベンチから声をかけるだけ。交代できる人数もいない中、6人で、自分たちで、焦らず落ち着いて1点ずつ重ねて勝った。
2年間の部活で、わたしが知らないいろんなことがあったんだろうなと思った。

そして帰宅した息子はまた黙々と勉強をした。

おそらく、受験も進路も、そして今何をすべきかも。
もう自分で考え始めているのだと思う。母のわがままで急に都会の真ん中で暮らすはめになり、意味わからない受験戦争に巻き込まれ、急激に変わっていく周囲のわけのわからなさがありつつも、ずるずる文句を言っていないで、逃げずに進むことにしたのだと思う。

足りない情報がもたらすいらぬ努力をしていたり、明後日の方向に力を割いていたりとか、いろいろ気になるしアドバイスもしたい。でも、今回はできる限り見守ってみようと思う。だいたい私は先回りしすぎなところがある。とくに長男に対して。小さなころから「あそこが危ないから気を付けて」「これを先にやっておくといいよ」と、答えだけを言いすぎた気がしている。

それに、すでに長男の見極めのほうが有益なこともあるのかもしれない。

今回はぐっと堪えて、心の中で「がんばれ」って唱えて、塾から帰ったら「おなかすいた?」とか聞いて、あとは…塾代を振り込むくらいしか、もうそのくらいしかできない。

ついこの間まで、この手で抱っこしていたのになとか、「ママー」っていってうるさいくらいにしゃべっていたのにな、とか振り返ると、なにかを喪失したような気持ちにもなる。これが寂しさの原因には思う。

そういえば以前、うつ病の取材をした際にお医者様が「結婚・昇進など、新しいステージに進む時の、一見して明るいできごとが原因で鬱になることがある。新しいステージに進むということは、すなわち過去を喪失することだからだ」と仰っていた。
まさに子供の成長は不可逆的で、前段階の喪失が常にセットになっている。

あれをしてやればよかった、もっと違うことができたのではないか、なぜあの時あんなこと言ってしまったんだろう…と親としての後悔は尽きないが、もう時間も戻らない。ギフトを十分に持たせてやれたか不安だらけでもある。でもそれは私単独の感傷に過ぎない。

2歳の時に大病し、死の淵ぎりぎりで現世に引き返してきた息子は、いまは普通の中学生として人生を歩んでいるが、せっかくなら取り留めた命を存分に謳歌してほしいと母は常に願っている。でも、わたしができることは、どうもだいぶ減ってしまったように思う。
わたしの出番は減り、主役が息子へと移ってきた。

いま自分の手で扉を開けようとしている息子に、とにかく幸あれ!って思う。息子の人生は息子のものだ。幸あれ!って言いつつ、なにが「幸」かはもしかすると母さんにはわからないかもしれないけど、とにかく幸あれ!って思う。

突然はじめた勉強も、どこに合格するとかよりも、なにかしら未来の君の「幸あれ」につながっていくようにと願う。

母は母で、どうやらここで母をこじらすとペットやら韓流やらに沼る気がしているので、とりあえず、先週は夫とKing Gnuのライブに行ってきた。息子の人生が息子のものであるように、わたしもわたしの人生があることに久しぶりに気がついた。
よく考えたら、母もまもなく50歳だ。


この記事が参加している募集

子どもに教えられたこと

子どもの成長記録

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?