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「見えないかかわり」イズマイル・バリー展とWhat's Karl Gerstner? Thinking in Motion

2020年から兼業を開始した。

転職という選択肢もあるかと思うけど、新しい職場で一からポジションを取るのは、正直しんどい。けれども昨今の転職市場では、デジタルの人材は引く手数多、年齢もあまり関係がない。こうした状況は2025年あたりをピークとして2030年までは継続すると思う。ひとつの会社で年収を上げていくよりも転職をうまく使ってキャリアを形成していくというのもひとつの考え方だとは思う。

僕の勤務先が副業を認めていることもあり、デジタルの知見を本業と競合しない形でサービスとして提供しようと思った。こうした年収の上げ方もできるようになった。

現在はファッションアパレル関係のお客様とデジタル戦略について作戦を練っている。ここ数年で面白い取り組みができそうな予感がする。

僕のキャリアとしては、コンピューター技術、ソフトウェア産業が本業なんだけど、それだけでは幅がきかない。深みをつけるということもアートを研究する目的のひとつ。巷で話題のビジネスに活かせるアート思考なんてのも気になっていた。実際にアートを研究してみて思ったのは、アートとビジネスという対立軸ではなくて、アートのビジネス、ビジネスの中のアートとして、ゆるやかに融合していくものだと思うようになった。

銀座のエルメスのビル、最上階にある美術館で開催していたイズマイル・バリーの個展、「みえないかかわり」を見に行った。

事前にパンフレットや、美術手帖の説明を見ていた時に考えていたのは、イズマイル・バリーの展示は認知科学による人が外界を認知する仕組みを示しているだろうと考えていた。実際に展示を見てみて思ったのは、見え方、見せ方の試行錯誤というか実験を行なっているのだと感じた。

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実際のところ、この展覧会は暗室をイメージしている。内側の展示室と外側の展示室。内側は暗く、光の見え方とその対象物の捉え方。外側の展示室は明るく、ところどころに通過点があって、内側の暗室に光を渡している。

見ることを追求した作品群、目の機能と見ることを考えさせられた。

それにも増して、エルメスの美術館の豪華さ。人員配置も多いし、アートを日常に持ってこようとする姿勢がすごいと思った。


次はgggのカール・ゲルストナーの展示を見にいく。デザイナーとアーティストは、近いようでいて、思い切り遠いような気がする。

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スイス人グラフィック・デザイナー。見たことあるロゴとそのデザイン。色と形の試行がある。最小限の構成物、形と色で、とてもダイナミックな紙面を作り上げている様は、圧巻としか言いようがない。

グラフィック・デザインの教育を受けていた時は、ほとんどがコンピューター上で完結してしまった。もちろんカリキュラムの一環として紙面制作、ポスター制作もあるけれど、民生機のプリンターで出力する程度だった。

もともとは、本業でやっていたデザイン思考に磨きをかけるため、どうせならデザイナー教育を受けてみようと思って始めたグラフィックデザインの学習、卒業制作ではWebサービスを提出した。同級生はモックアップとムービーでWebの作品を作っていたが、僕はプログラムを書いた。後から考えると、そうしたことは重要ではなくて、ロゴデザインとか、Webの画面構成とか、そうしたものにもっと注力すべきだったと思うけど、これはこれで満足している。

そんな卒業制作で、同級生が印刷所に発注して制作したパネルを見ていると、とても綺麗な仕上がりだった。本業がデザイナーの同級生の作品などは、とても一緒に並べるのが恥ずかしいくらい。まぁ、指導教授はパネルマジックなんて言っていたけれども…。

バウハウス展イタリアデザインの講義でも感じたけれど、素材、手で触れることができるものへの飽くなき探求。その探求の姿勢こそがデザイナーの資質のひとつなんだと思う。

ずっとコンピューターの世界で、生きてきた身としては、素材に対するあこがれがあるものの、デジタルの世界、とりわけソフトウェアの世界では、後からの修正や、辻褄合わせが他と比べるとやりやすい。建築なんかだと、建物建った後に間取りが悪かったとか動線がまずかったとか、修正が難しかったり、不可能だったり。グラフィック・デザインでも広告や、誌面に掲載されてしまったら取り返しがつかない。一方のソフトウェアは、サービスパックとかアップデートという形で取り返しがつく。といっても、今みたいなブロードバンドが普及する前は大変だった。マイクロソフトのエクセルに重大なバグがあったために、店頭のパッケージを回収、修正版を配り直す必要があったのは有名な話。(損失は数億ドル)

恐らく、ソフトウェアエンジニアは、物理的な世界から、なるべくデジタルで完結できるようにシフトしたいと考えていたはず。(僕も、システム全体アーキテクチャを設計する際に、いかに人手がかからずに、保守しやすいかを第一に考える。)それが、今のインターネットが社会基盤として活用されるモチベーションにもなったはず。今では、ソフトウェアはクラウドからサブスクリプションで常に更新することができる。(有償で、バグの修正が容易にできるようになった。こういうのを確信犯的と表現するのだろうか。)

メモリ空間、サイバー空間、デジタル空間、時代によって呼び方が変わってきている。その中で展開、実行されるプログラム。頭の中で、コンピューターの動きをシミュレートしてプログラムをデバッグするソフトウェアエンジニア。僕のそうした根っこが、リアルな素材へのあこがれとして、グラフィックデザインを勉強したのだろうなんて思う。春先にはアパレル素材の勉強しようかな、なんて思っている。



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