<聞く力>を鍛える 読書メモ
話し方の反省、自己啓発の書籍などはあるが、聞く力は話す力ほど重視されていないという。本書は、聞く力こそ基本であり、話をするにも役に立つという。
聞くの報酬、聞くことの効用を10あげているが、それだけに収まらない。聞くことについてどういうことかを丁寧に解説している。冗長ではあるが、聞かずに話ばかりをする人の事例を丁寧に解説し、如何に聞くことが難しく、しかもスキルとして認知されていないのか。確かに、隙あらば自分語りという人を多く見かけるから、聞くというスキルはとても大事。聞く力が見落とされている、そこの問題提起をしている。
そもそも聞くとは、聴こえてきた音を言葉に変換し、そこに意味を当てはめる。意味の解釈を経て、話し手に対する応答へと繋がる。一連の動きを検討してみると、聞くということは実に複雑なプロセスを踏んでいる。
聞くためには、知識が必要である。縄文人が走る車を見て理解できないということを例示しながら解説している。前述したように、音を言葉と認識できても、その意味が分からなければ、伝わらない。
聞くということを分解し、還元的に見えるが、その力の伸ばし方を解説している。本書にあることを実践することで、傾聴力は格段に上がるのではないだろうか。
話を聞いてもらうというのは、自己を知る根源的な手段なのかもしれない。
カウンセリングの事例を引き合いに出しながら、聞いてもらうということがいかに大切なのかを伝える。
患者は生きた人間であり、検査結果からのみの診断ではなく、生の人間の声に耳を傾ける必要がある。
ただし、多くの人は、聞くよりも話すことの方が好きみたい。
聞き手の不在を「カラオケ現象」と呼んでいる。歌いたい人は多いが、聞く人が居ないというもの。カラオケで、他の人が歌っている時は、次に自分が歌う曲を選ぶのに忙しく、付き合いの拍手はするものの、聞いていないということから。
聞く力が低下している
一つの正解幻想
ちょうど、この書籍を読んでいる時に見つけたコラム
文化人類学者の「なぜ?」という質問に対する論考であり、説明の地平が共有されていない者間での、「なぜ?」という問いかけにまつわる問題を提示したテキスト。NHKの人気番組に関する批判であるが、ひとつの回答へ導くことの危険性を指摘している。
"「なぜ」に対する適切な回答であり、唯一の回答を選定することはできず、相互に独立した説明の方法となっている。"
"異なる社会の文化について「なぜその文化が存在するのか」を執拗(しつよう)に問い、特定の説明方法を自他に要求するスタイルが横行していた。20世紀前半に流行した「機能主義人類学」は、異なる社会に見出されるあらゆる文化要素について、「当該社会または個人における何らかの機能があるはずだ」と想定して説明しようとしていた。"
"機能主義は、「なぜその文化要素が存在するのか?」「それは○○だからである」と、ヨーロッパ人が納得しやすい説明の地平を一意に設定し、そこに還元させて事象を説明する。物理学のように、文化社会の諸事象を少数の法則に還元して理解しようとしたのである。"
"その文化の細部について「なぜか」と問いただし、自分たちに理解できる説明の仕方を要求し、納得できる解説がなければ文化の存在や価値を承認しないと圧迫する状況には、「多数派が説明と納得の権限を独占する」、すなわち「少数派に対して知的な支配をする」姿勢がありありと現れている。"
最近、特にマジョリティの暴力性を感じる。聞く力というのが、ここまで拡大するとは思いもしなかった。
聞く力の欠如は、自身の放棄にも似ているのかもしれない。
聞くということは注意を向けること。一般的に用いられる"注意"の用語で解釈すればいいと思うが、認知科学でいうところの注意の使い方も暗喩されている
刺激に対する意味の割り当ては、非言語的コミュニケーションも含めて胎児の時点から聞くという行為がはじまっている。エコー検査の際だろうか、母親の声に明らかに反応するという。
話題は聞くことの分解から、それぞれが、どのようなメカニズムになるのかに続く。
知識によって意味への割り当てを行う。ここでいう知識は、経験なども含む、その人の人生そのものである。そうした知識をスキーマと呼び、コミュニケーションをとる相手が同じスキーマを持っているかがポイントになってくる。出来事についてはスクリプトと説明、チャンクという単位でスキーマやスキーマの内部が関連付けられる。
応答とは非言語的なコミュニケーションも含む。相槌だったり、腕組みしているか、視線がどうなっているか。とても大事なコミュニケーションの要素だが、これらはリモートワークで全て省略されてしまった。シニア層に限らず、非言語的コミュニケーションに依存していた人たちは、カメラオフのZoomでかなり苦労していたことと思う。
聞く力をつけるための指南もある。聞くことに限定していないが、対象を分解し、それぞれを検討し、伸ばすための方法について丁寧に記載されている。ただ、随分平易に書かれているとはいえ、心理学、認知科学、情報処理の言葉も使われているため、それなりに読み解く必要があるだろう。
聞いてもらうためには、相手との間での共通的な知識が必要になる。
ここ数ヶ月で見た作品についてだが、ステートメントを見ないと理解できないものが多くなった。(ステートメントを見ても理解できない作品もあるが。。。)これは作家と鑑賞者の持っている知識にギャップがあるから、全部が全部を分かりやすくする必要はない。しかしながら、鑑賞者に対して何かの手がかりをつけておくべきではないだろうか。ジェフ・クーンズのラビットにヒントがあるように思う。
価値観、信念、感情、そうしたものが聞く力の要素である知識獲得に弊害になることがある。嫌いな人の話は聞く耳を持たなくなるということ。
これは僕の経験からになるが、企業向け情報システム構築にあたっては、要求・要件を出す人の話を真摯に聞く必要がある。そこに自分の価値観などは全く不要であり、悪い言い方をすると言われたことをそのまま実装する、ということになるが、それではプロではない。今までに獲得した情報システム構築にあたっての経験や、コンピュータに関する知識から、話し合いを重ねて、システムの方向性を決める。やりたいことを手続的に整理してプログラムにまで落とし込む。プログラムにバグが潜むのは潜在的なことであり、物理世界と分断されているからこそ、無茶なシステムが出来上がったりする。要件定義の失敗と呼ばれるが、それは別の話題だろう。システム開発からキャリアをスタートしたこともあるだろうが、コンサルタントになってからも、こうした傾聴力は、かなり役に立った。ただ、キャリアが長かったためか、自分の感情、価値観をどこかに置いてきてしまったようだ。現代アート(半分くらいは哲学)を学ぶことによって、そうしたことを思い出した。
いわゆるハウツーではなく、聞くことを分解し、それぞれを事例を交えながら解説している。ハウツーは、それらの記載内容を踏まえて自身で工夫することとある。マニュアルでは、聞く力は養われないということ。
聞くためのガイドラインはとても参考になる。
いただきましたサポートは美術館訪問や、研究のための書籍購入にあてます。