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現実には縁(ふち)がないし、宇宙には果てがない|名久井直子 #1

あなたが、子どもの頃に大好きだったものや、夢中になったことはなんですか? 意外にも、すっかり忘れてしまった他愛のない事象が、今の自分を形作っていることがあります。
名久井直子さんは、本の作者と読者をつなぐ「ブックデザイナー」。本の世界観を丁寧にデザインに落とし込む彼女の装丁は、作家や本好きの人たちから長年絶大な支持を得続けています。そんな、いま最も忙しいブックデザイナーのひとりである名久井さんは、子どもの頃、ハサミと紙を使って、ひたすら身の回りのもののミニチュアを作っていたそうです。リアルを追求する子どもらしからぬ視点が、緻密なデザインの原点なのかもしれません。

名久井直子
ブックデザイナー。1976年岩手県生まれ。武蔵野美術大学卒業後、広告代理店勤務を経て、2005年独立。ブックデザインを中心に紙まわりの仕事を手がける。第45回講談社出版文化賞ブックデザイン賞受賞。主な仕事に、『ウィステリアと三人の女たち』(川上未映子)、『口笛の上手な人魚姫』(小川洋子)、『水中翼船炎上中』(穂村弘)など。

ひとりで黙々とものづくりをしていた

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――名久井さんは装丁家、ブックデザイナー、どちらでお呼びすればよいのでしょうか。

どちらでもよいですよ。特にこだわりはないんです。最近は「ブックデザイナー」のほうが、多くの人にわかってもらいやすいかなと思って、そちらを使うようにしています。

――まさに、本文の部分から、カバー、カバーを取った表紙の部分、背、扉、しおりの紐にいたるまで、本全体をデザインする仕事ですもんね。

はい。私はわりと、小説などの文芸作品を担当することが多いのですが、マンガや絵本などをデザインすることもあります。

――小川洋子さん、江國香織さん、辻村深月さん、辻仁成さん、川上未映子さん、谷川俊太郎さんなど、小説家から詩人、漫画家まで本当にたくさんの作家さんの作品を担当されています。ブックデザイナーというのは、どんなキャリアを積んでいくものなのでしょうか。

王道は、出版社のデザイン部に入ることですね。文藝春秋や新潮社の装丁室などは有名で、それがエリートコース。あとはブックデザイナーの事務所に入って、スタッフとして働いてから独立、という道があります。著名なブックデザイナーもたくさん輩出しています。人数としてはそちらのほうが多いかもしれません。私はどちらでもなかったので、ちょっと特殊な例なんですよ。

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――なるほど。そんな名久井さんは、どんな子どもだったんですか?

私、保育園も幼稚園も行ってないんです。

――そうなんですか。

一応、面接みたいなのには行きました。でも、そのとき周囲で子どもがわーって遊んでるのを見て、「あ、自分には無理だ」と思ったんですよね。

――「子どもが」といっても、その時は名久井さんも子どもですよね。

そうなんですよ(笑)。むしろ、遊んでるのは私より先輩の子たちなんです。でもみんな、マットや平均台みたいな棒の上でテンション高くはしゃいでいて、何がそんなに楽しいのか、私にはよくわからなかった。それで、「ここには入りたくないです」って母に行ったら、「じゃあやめよう」ってあっさり。

――一見して、「なじめない場所だ」と思われたんですね。

それまで、ずっとひとりで遊んでいたからかもしれません。けっきょく小学生になるまでずっと、家でおばあちゃんとふたりで過ごしていました。寝たきりのおばあちゃんと、日がな一日NHKの教育テレビを見るんです。夕方からは相撲中継、19時からは歌舞伎。それで1日が終わっていく。今思い出すと、不思議な時間が流れていましたね。あと、その頃の家で、今でも覚えているスペースがあるんです。

――スペース、ですか。特別な場所だったんでしょうか。

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母が和室の一角に板を立てて、そこは私が何をしてもいい場所、としてくれたんです。その代わり、他のところに落書きとかしないでね、ということだったんでしょうね。そのスペースには小さなソファもあって、とても好きな場所でした。

――名久井さんの居場所だったんですね。

何をしてもいい、と言われたものの、私にとってその壁は永遠に存在しているように見えました。なにか描いてしまうと、一生それを見続けなければいけない、と思ったんです。だから、おいそれと落書きなんてできなくて。私がそこに貼ったのは、新聞広告にあったコルゲンコーワのカエルの切り抜きと、「ニルスのふしぎな旅」というアニメのシールなど。少数精鋭のものしか貼れませんでした。

――それは、ずっと眺めていられる、選ばれたものだったんですね。

そう、とてもかわいかったんです。お気に入りでした。

身の回りのものを、手づくりで写し取る

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あとは、NHKの『できるかな』という工作の番組が大好きで、それに出てきたものをずっと作っていましたね。そのなかで「なんでも持って歩けるカバン」というのがあって大ハマリしました。

――なんでも持って歩けるなんて、夢のようなカバンですね。

正体は、二つ折りにした紙の内側にいろんなものを貼り付けてある、というだけのものなんですけどね。洗面台とかタオル掛けとか洋服とかを折り紙などで作って、カバン型の紙に貼り付ける。それをパタンと二つ折りにすれば、なんでも持ち歩けるカバンになります。ルイ・ヴィトンに旅行用の豪華なトランクがありますよね。あれに、洗面台なんかも入ったような不思議なカバンです。

――すごい、楽しそうです。

今日は、その当時作ってた「なんでも持って歩けるカバン」の、シリーズのひとつを持ってきました。

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――素敵ですね! 手作りの小物がたくさん出てきました。

おりがみセット、色鉛筆セット、洗面セット……ちょっとだけ説明すると、洗面セットには、タオルと歯磨き粉とシャンプーとリンスが入ってます。で、これは鉛筆と消しゴム。消しゴムは、本物の消しゴムを小さく切って、まわりにケースの紙を巻いてあるんです。本には、しおりも入ってます。
これはお化粧セット。コンパクトや口紅。口紅は銀の折り紙を巻いてあります。ちゃんとフタを開け締めできるところが偉いでしょ?

――子どもの頃の名久井さんの器用さと観察力に驚かされます。

特に気に入っているのが、お財布です。バンドでとめてあって、中にちゃんとポケットがあり、キャッシュカードやテレホンカード、郵便局のカード、パン屋さんのサービスカードなんかが、1枚ずつ入ってるんです。あ、生協のレシートもあります。これ、母のお財布を再現したんだと思うんです。

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――子どもながらに、目の前のものをそのままリアルにとらえていたんですね。

私は当時から、あんまり子どもっぽい絵を描いたりできなかったんです。母が唯一取っておいてくれた私の絵というのが、小学1年のときに描いたひまわりの絵です。それは見たままに花が横向きになっていて、しっかりと萼(がく)もちゃんと描き込んである。葉はねじれているところはねじれたまんま、色もくすんでるところはくすんだ色で塗られていました。学校の先生には「元気がない」と酷評されたんですけど、母は「これ、いい絵だから」って唯一保存してくれました。

「子どもらしさ」に違和感があった

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――子どもらしくしろ、とか言われませんでしたか?

母は自由にやらせてくれてましたね。ずっと、まわりの皆が描く「子どもらしい絵」に違和感を持っていました。ひまわりの種をカラフルに塗ったり、茎や葉に比べてありえないくらい花が大きかったりする絵。あれって、どこで習うんだろう。あと、クレヨンで縁(ふち)を描いてから、中を塗るんですよね。それも不思議でした。だって、現実には縁なんてないじゃないですか。

――現実に輪郭線なんてないですもんね。

「現実に縁はない問題」って、子どもの頃の大きな悩みでした。塗り絵も違和感があったんです。だって、目の前にいるあなたも、この机も、椅子も、黒い縁で囲まれてないですよね。背景と違う色になっていて、それで形作られているんだけど、世の中の多くの絵はそうじゃない。これってどういうことなんだろうと。
あと、もう一つ悩みがありました。「宇宙の果てはどこにあるんだ問題」です。

――それはまた壮大な。

地球の外に宇宙があって、その外にはまた宇宙があって、その外には……と考えていくと、広がりすぎて頭がふわーんとなってしまう。宇宙の謎は解明されてないので、これは今でも続いている悩みですね(笑)。
と、子どもの頃から何か考え事をしたり、何かをつくって遊ぶことが大好きでした。

――現在は本を作ることを仕事にされていますが、本は読んでいましたか。

本は大好きでした。でも家には、冠婚葬祭マナーブックと電話帳と料理本くらいしかなくて、それを繰り返し読んでましたね。マナーブックのおかげで、小学生の頃からお呼ばれのマナーは完璧でした(笑)。
家に本がない分、図書館によく行っていました。お気に入りの本は何回も借りたりして。小学生の頃、一番好きだった作家は安部公房。読書感想文も安部公房でした。

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――小学生の頃から安部公房を読んでいるなんて、かなりの文学少女なんですね。その後もずっと本はお読みになっていたんでしょうか。

そうですね。中学、高校でも本は好きで。高校の頃は古文と漢文ばかり読んでいました。
今思うと、少し変わってますよね。古文や漢文の本を図書館で借りると、私の前にその本が借りられたのが30年前だったりするんですよ。このジャンルの人気のなさを感じました(笑)。
漫画も大好きで、『りぼん』を小学1年からずっと毎月買っていました。当時の自分に「大好きな漫画を描いてる作家さんに、将来ブックデザイナーになって会えるよ」って教えてあげたいですね。すごくうれしいだろうな。


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