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何でもサラッとできるようになりたいけど、たぶんできる人ってあまりいない

文章を書けるようになりたい!って思った時、「文章を書ける」でイメージしてたのは、頭にストーリーや企画がポーンと出てきて、それを即座に形にできるだったと思う。
でも、当たり前だが、それができる人って少ないよねという話です。

私にはこのような傾向がよくあると思う。
何かをサラッとできるようになりたい→できない→仕方なく泥臭い努力をする、みたいな。

でもこの「泥臭い努力をする」ができた分野はそんなに多くなかったなあと。これに関しては、やりたいと思っても嫌いなことや苦手すぎると続かない。小学校の頃、マラソンが誰よりも苦手で、12月のマラソン大会を夏休み終了頃から怯えて、練習して、年々順位を上げることはできたけれど、それは「怯え」からきた努力だから一旦置いとく。(中学はマラソン大会なくて、本っ当に嬉しかったなあ)

今の仕事なんかはまさにそうで、できないことだらけで、振り返るとよく努力したなあと思うけれど、当時は努力してる意識はなかった。日々挑戦して、失敗して反省したり、成功して喜んだりの繰り返し。「なんでそんなに頑張れるの?」と聞かれるけれど、別に頑張ってる意識は無い。やることがあるからやった、という程度。

って真正面から答えると「すごいね」で話が終わっちゃうから、そういうことが言いたいのではなく、

やはり人が努力できる=やり続けられるには、ある程度の好きややりがいを感じないと続けられない、ということ。

でもこれを見つけるのはすごく難しい。子どもの頃から幅広くチャレンジして、少し続けながら、「続けられる」「少し意識を高く持てば続けられる」「無理」とカテゴライズするのが良いかも。

じゃあ漫画が好きで延々読めます、ゲームが好きで夜通しできますっていう意見があると思うけれど、それとは少し違うかなと思う。これは「続けられる」にカテゴライズされるけれど、これであると成長しない可能性が高い。一方で「少し意識を高く持てば続けられる」は、たまに凹んだり、もう嫌だー!と思うことが多々ある。
すなわち、成長のための痛みが、病まない程度にある。

病まないのレベルが難しいし、根本に病まないメンタルを鍛えることも大事だから、見極めづらいけれど、ここは子どもの頃から経験を積んで地道に判断していくしかないかもしれない。親ではなく、子ども自身が。

ちなみに好きすぎて嫌なことがあっても大丈夫です!という方もいると思うが、それは少数派だと思う(私調べ)

だからちょっと辛いこともあるけれど挑戦し続けたいとか、こんな風になりたいがあるならもう少し続けてみたい。

そして今続けられていることを大事にしていきたい。こんなに続けられてる!やったー!と思っていたい。

たぶんその状態で続けられれば、何かしらが自分のものになる。

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