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アモーレ・イタリアーノ【ショートショート】

17:30に終業、17:31に荷造りし、17:35にはオフィスビルの外に出た。

残業が皆無なのはこの会社の唯一良いところ。他は何も気に入っていない。

やり甲斐もないし、給料が良い訳でもない。が、そこが良かったのかもしれない。

中途半端にやり甲斐があると、勤務外の時間も休日も、仕事の事を考えてしまう。

この仕事ではそういった事が一切ない。


ここに落ち着いてから気付いたのは、毎日定時上がりが出来るという事はQOL向上において思いの外大きな要素だという事。

20代前半の頃は、情熱を注げない仕事や給料の低い仕事に落ち着いてるオッサンの事が全く理解出来なかったが、あの人達も色々経験した上でそこに落ち着いたのかもしれない。


普段、退勤時には通勤時の倍近く、時間を要する。

いつもはダラダラと、ゆっくり歩きながら帰宅する僕も、今日ばかりは急いだ。

残念ながらデートではない。そんな物は5年ほどしていない。もう一生しないのかもしれない。


つい数日前、母親の誕生日を数年ぶりに祝う為に、イタリアンレストランを予約した。

今回は両親が母親の誕生日に合わせて東京まで来る事になったので、食事の場を設けた。

人の誕生日を祝うような事もレストランを予約する事も何年もしていなかったので、ロケーションとレビューと写真と予算で店を決めた。


そこは、〝アモーレ・イタリアーノ〟。

めちゃくちゃお洒落で料理も綺麗だ。普段友人と会うのであれば、絶対に選ばない店。

しかし、自分にとって便利なロケーションに常識的な予算。

3日前だったが、予約が出来て良かった。


約1年ぶりに会った両親は、別人の様に老け込んでいた。

何か病気を患った訳ではないのに、明らかに老けている。

母は痩せているし、父は1年前よりも明らかに禿げている。

申し訳ないが、会えて嬉しい気持ちよりも老け具合に驚いた気持ちが勝ってしまった。

親というのは、こんなにも一瞬で老けるのか。

僕の仕事や身体を気遣う2人と共に、アモーレ・イタリアーノへ向かう。


景色が良くてレビューが高得点との事で予約したが、玄関先で既に僕は萎えていた。

まずエントランスが綺麗ではない。

ドアマットがベロンと捲れ上がっているが、直されていない。

僕たちが入店しても、気付く者がいない。人手不足ではなく、ホールスタッフそれぞれの能力が低いと感じた。


1分ほど待っていると、少し離れたところで注文を聞き終わったホールスタッフが僕たちに気付いたが、挨拶をする事もなく、別のスタッフに対応を促す訳でもなく、ただ見て見ぬふりをした。

入店から1分。この時点で既に失敗したと感じた。


更に1分後。笑顔のない、新人でもなんでもない、ヤル気が無さそうな女性スタッフがこちらにやって来た。

笑顔がないだけではない。入店時に気付かずに待たせた事に対しての謝罪もなかった。

無愛想に予約席に通された。


着席して気付いたが、店の各所に青いライトが照らされている。それがとても下品に感じた。

よく見ると、営業中とは思えない様な、積み上げられた椅子、雑な覆い方のパーテーション。

灯りが点いていない蛍光灯もある。


何よりも不愉快だったのは、店全体が騒がしかった事である。

馬鹿みたいな若者が多かった。

落ち着いた大人がカジュアルに楽しむイタリアンだと思い込んでいたが、そうではなかったようだ。


ここは馬鹿みたいな若者が特別な日に格好をつける為に利用する店なんだ。

低所得の自分がこの店を選んだ事は、必然的だったという事か。

母の誕生日くらいはもっと高い店にすべきだったと、自分を恥じた。


通された席の右隣は、男女4人の合コンで、これまたやかましかった。

左隣は、付き合っていない男女のデートだったが、「分かったから早く付き合っちまえよ」と茶々を入れたくなるほど、良い雰囲気だった。

正面に座り、お互いに目を外さずに、「今日は楽しかった」的な事をずっと話している。


両親が好きな物を頼んで、まぁまぁマトモな物が出てきたが、「いや、そらこの材料を使えばこうなるだろう」といった感じの仕上がりで、特に料理に対する愛情や熱意は伝わってこなかった。

そもそも右隣のバカ合コン達の声があまりにも大きくて、料理にも両親との会話にも全く集中出来ない。


4人組のバカ合コン達では、男は終始出身大学と勤務先の話題、女は終始海外旅行とショッピングの話題で持ちきりだった。

この時気付いた。男にとっての功績と軌跡を計れるのは出身大学と勤務先で、女にとってのそれが旅行の質と買い物の金額なのだと。


だとしたら、僕の人生に価値はない。

途端に、隣の席で繰り広げられているのが、純粋な合コンではなくATM候補 vs セフレ候補の戦いに見えてきた。

両者一歩も譲らない死闘。


両親にはレストランがお洒落で豪華に見えた様で、値段を気にしていた。

僕は心配いらないと言った。転職してから余裕があると。こういった店にはたまに来る事があると。

母は目をキラキラさせて、「すごい」と言った。父は少し誇らしそうにしていた。

本当は、家賃と生活費でいっぱいいっぱいで貯金なんて夢のまた夢なので、ここの支払いは2回払いにするつもりだ。

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