北沢夏音『Get back,SUB!』書評

かつて、今は考えられないほどメディアとしての雑誌が影響力を持った時代があった。アンアンやノンノはアンノン族を生み出し、ポパイはシティボーイを、オリーブはオリーブ少女を、HanakoはHanako族をと言ったふうに次々とブームを生み出していった(マガジンハウスの雑誌ばかりであるが)。雑誌を作ることは社会を変えること(もしくは社会を変える夢を見られること)と同義だった。

何かを変えたい、何かを伝えたいと思うものは、雑誌を作った。そして、リトル・マガジンはもちろん、マス・マガジンも、それは今よりとても個人的で、自由だった。もちろん商業的に成功することも大事だけれど、何が売れるかよりは、何を伝えたいか、が誌面にあふれ、それぞれスピリットを持っていた。そんな雑誌の幸福な時代、ひとつのリトル・マガジンが産声を上げた。70年、神戸発のカルチャーマガジン『SUB』。

『SUB』とはサブカルチャーの『SUB』。カウンターカルチャーとサブカルチャーがいったいとなり、今よりそれが力を持っていた時代の空気を存分に吸った、とても自由で、洒落のきいた誌面だった。創刊号の特集は「ヒッピー・ラディカル・エレガンス〈花と革命〉1970創刊号」。創刊したのは、小島素治という人物。この、今はまったく知られていないこの小島という人物と『SUB』を巡る物語が本書だ。

物語は著者が古本屋で『SUB』を発見して衝撃を受けるところから始まる。著者の北沢夏音はカルチャー誌『バァフアウト!』の創刊編集長などを経て主にサブカルチャーについて書くフリーライターになりこの『Get back,SUB!』が初の著作となる。

この取材を始めたとき、著者は意外な場所で、小島に出会い、『SUB』関する事実、小島が『SUB』以降、どういう人生を歩んでいたのかが語られていく(そして、これが最後の肉声となった)。また、周辺で活躍した人物たちの証言により、段々と『SUB』及び小島の輪郭が浮かび上がってくる。いったい『SUB』とは、小島とは何だったのか。そしてその問いかけは著者の『サブカルチャーとは何か』『雑誌とはどういうものか』という問いかけと重なっていく。


『SUB』は、その前進の書評誌である『ぶっく・れびゅう』とあわせて計8号で終刊。その後小島は『ドレッサージ』という雑誌を立ち上げる。時代は80年代へ。徐々にカウンター・カルチャーの空気は世の中からなくなり、広告が世の中を席巻していく。雑誌も広告との蜜月関係を築き、徐々に雑誌は個人のものから、企業のものへと変わっていく。

そんな時代のなかで、小島も広告のなかで、いかに面白いことをするかと試行錯誤したのが『ドレッサージ』だった。その『ドレッサージ』も8号で終刊。90年代初頭に新感覚の競馬雑誌『ギャロップ』(今ある競馬雑誌『ギャロップ』ではない)を立ち上げるも金銭的な問題により創刊号で突如終刊。その後小島は行方をくらまし、人々の記憶からも姿を消す…。まさに雑誌の趨勢と運命をともにしたような生き方だ。

今、ZINEと呼ばれるリトル・マガジンがちょっとしたブームになっている。これは雑誌を個人に取り戻す行為に他ならない。我々は、一度原点回帰して、またそこから始めればいいのだ。考えるのはそれからでいい。


あなたのサポートが執筆の励みになります!