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向き合えるほど強くなくてもいいらしい


6月1日、ハートネットTV「摂食障害の私と手をつないで 鈴木明子」
この番組が放送されると知った時、「見てみたいな」と素直にそう思った。

私はフィギュアスケートが好きで、現役時代の鈴木明子さんの演技には幾度となく感動を与えてもらった。
彼女が滑ると、リンクの上に情景が浮かんでくる。心が揺さぶられ、音楽と振り付けの描き出す世界に吸い込まれていく。
そんな鈴木さんのスケーティングが、今でも本当にだいすきだ。

鈴木さんが摂食障害を乗り越えたということも、以前から知っていた。
さらに私自身が摂食障害を発症してからは、当事者として、彼女の発信がより身近に感じられるようになったと思う。

だからだろう。勝手な親近感は、番組への興味を高めるのに十分だった。
少しどきどきしながらも、私はテレビのチャンネルを変えた。
両親がいる場所で番組を見られたことも、個人的には進歩のひとつだ。

普段は自分の病気について語らないから、「摂食障害に関するテレビを見てもいい?」と聞くことは、実はちょっとした緊張を伴うものだった。

鈴木さんが番組内で話してくださったことは、アスリートならではの側面もあり、もちろん私の事情と全て共通しているわけではない。
むしろ、フィギュアスケートという軸があるかないかで、大きく違ってさえいると思う。

彼女の心を一度は挫き、けれど再び奮い起こさせたフィギュアスケート。
私の中には、そこまで強く光るものがない。
3年以上、摂食障害を引きずり続けている要因のひとつともいえるだろう。

それでも、鈴木さんの言葉はことごとく私の胸を打った。

「一人前の食事がわからない」
「赤ちゃんだって自然にできることができない」
「弱い自分を人に見せたくない。できれば箱にでもしまっておきたい」

私の抱えているもやもやを、きれいに言葉にしてもらったような感覚。
ああ、わかる、私はこう言いたかったんだ。
多分、両親がその場にいなければ、私は声をあげて泣いていたと思う。
悲しいのではなく、ただ認められた安堵感が涙となって溢れたに違いなかった。

そして、最も強く響いたのが、2つのメッセージだった。

『弱い自分と向き合えなくても、寄り添うことはできる』

私の病気に対する認知はかなり遅く、拗らせに拗らせた、という有様だった。
診断を受けてからも、自分が拒食症だと周囲に打ち明けることは憚られたし、何より全く認められないでいたのだ。
「私よりもっと深刻な症状で苦しんでいる人もいるし、大したことないはずなのに、なぜ?」
病気を認めれば、何かが崩れて終わってしまう気がしていたのかもしれない。
ただ、時間の経過と周囲の理解が、徐々に私の中にいる“拒食症の私”を浮かび上がらせてきた。
今では、”拒食症の私”が隣にいるな、とよく感じるようになった。
もうひとりの私は、私のそばで何も言わない。
けれど、確かに、ここにいる。
私はようやくその存在を理解して、「仕方ないなあ」と思うようになった。
寄り添う、というよりも、「寄り添ってやらんでもない」スタンスなのは、無駄なプライドの高さ故だ。
多分、向こうだって「面倒くさいな、こいつ」とため息をつきたいところだろう。

『手を繋いだら、前へ進むことができる』

病気の自分と向き合わなくてはならない、と何となく感じていた。
とはいえ、残念ながら私はそこまで勇敢ではなく、臆病風に吹かれてばかりだ。
向き合うことは、苦痛を伴うから。
弱くて情けない自分を直視しても、目をそらしても、どちらにしたって苦しい現状に変わりはないのに。

だから、寄り添って手をつなげばいいという鈴木さんの言葉は、目から鱗が落ちるようだった。
それなら前に進めるから、と。

自分と向き合って初めて、スタート地点に立てると思っていた。
「いや、でも、そうじゃなくたっていいの?」
私のそばにいる“拒食症の私”と、一歩ずつ進めるのであれば。
怖くても手を握り合って、前を向けるのであれば。

どうやら私は、弱くてもいいのだと誰かに言われたかったようだ。
弱くたって、変われる自分でありたいと願う。

今日感じた気持ちをぼやけてしまう前に残しておきたくて、私はキーボードを必死に叩いている。
摂食障害の当事者として、私は私と手を繋ぎたい。
今はただひたすらにそう思う。

鈴木明子さん、本当にありがとうございました。

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