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今日も電車が遅れている。

去年の冬のある日。
乗っていた電車がけたたましい警笛を鳴らし、直後に急ブレーキがかかった。

ラッシュのピークを少し過ぎているせいかそれほど混雑はしていなかった車内。
立っていた人はまばらで、それでも何人かがよろけてバタバタという靴音が響いた。
私は会社に向かうためその電車に乗っていた。降りる駅の出口に近い、後ろから2両目の車両で、空いていたシートに座って文庫本を読んでいるところだった。
警笛に驚いて顔を上げ、前方を見た。

しばらくして車内アナウンスが流れた。
ただいま当車両はお客様と接触いたしました。
警察と消防に通報し、確認のためしばらく臨時停車いたします。

人身事故で電車が遅れて困ったという体験は何度もあったけれど、事故が起きたその電車に自分が乗っていたというのは初めてだった。
車内がざわざわし始めた。
スマホを一斉に操作し始める人たち。情報を集めるためか、会社に遅刻の連絡を入れるためか、それともSNSに書き込むためか。
遠くから救急車のサイレンが聞こえてきた。パトカーも。不安をあおるその音はあっという間に大きくなり、すぐ近くで止まった。

私も鞄からスマホを取り出した。
会社に電話しなくちゃと思うのに、なぜか手が震えてしまってロック画面をなかなか解除できない。

今、私が乗っている電車が、ひとを、はねた。
そのことに動揺して、体が固まってしまっている。

ただいま、お客様の救助を行っています。
アナウンスと同時に、私の乗っている車両のすぐ外から、救助作業中の人たちの声が聞こえてくる。
嘘嘘嘘、ここ、先頭車両じゃないのに。
八両編成の、後ろから2両目なのに。
何でその真下で。

救助といいながら、とてもそうとは思えないリアルな声がいくつも聞こえてきて、状況を思い浮かべた私は顔がこわばってしまう。
周りの人たちも恐らく同じような気持ちだったのだろう。誰ひとり、声を発さない。皆、うつむき加減でじっと時間が過ぎるのを待っている。

何度か車掌の女性が各車両をまわり、乗客に怪我はないか、気分は悪くないかと尋ねていた。気分は悪かった。早く電車を降りたいと思ったけれど、それはかなわない。

30分ほどそうしていただろうか。やがて逆方向行きの電車は運行が順次再開されるというアナウンスが流れた。でもこの車両はまだ動かない。外ではまだ作業が続いている。想像したくない作業が。
結局1時間と少し、私の乗った電車は止まったままだった。外からの声が聞こえなくなり、車両を再点検したあとで運行を再開するというアナウンス。行先を変更し、次の駅で乗客を全員降ろすらしい。いつもは通過するだけの駅で、私は初めて下車した。そして、しばらくしてホームに入ってきた普通電車に乗りこみ、会社に向かった。

その日二時間以上遅れて出社した私に、同僚たちは「災難だったね」と声をかけてくれた。
私も他の人が同じ目にあったら同じことを言ったかもしれない。
でもその時は、何かしっくりしないものを感じてしまった。よく分からない違和感は私にその日中つきまとい、足が地面についていないような、どこかを漂っているような気持ちだった。

後で聞いた話。
あの日、はねられた人が着ていたダウンジャケットが破れて飛び出した小さな羽がたくさんその場を舞っていたという。
嘘かもしれない。どこかから広まった、ただの噂かもしれない。
でもその光景が目に浮かぶ。
消えてしまった命と、冬空に舞う白い羽。

名前も知らないその人のことを思う。
あとでネットで見たニュースでは、男性とだけ書かれていた、その人のことを。
この沿線に暮らしていたのかな、とか。
ひとり暮らしだったのかな、とか。
いつ死のうと思ったんだろう。
誰かに相談はしなかったんだろうか。
誰にも止められないくらい、その人の決意は固かったんだろうか。
あの日、どれくらいの時間、遮断機の手前で立っていたんだろう。何本の電車を見送ったんだろう。引き返そうとは思わなかった?怖くなかった?
怖かったに決まっている、と私は思う。引き返したかったに決まっている、と私は思う。
でもその人は、ある瞬間、心を決めてしまった。その人は下りていた遮断機をくぐり線路にうずくまっていたという。
警笛、急ブレーキの音。その人の耳にはどこまで、いつまで聞こえていたんだろうか。

災難だったね、という言葉がぴんとこなかったのは、今回私が当事者のひとりになってしまったからかもしれない。それまでは、予定が狂うことにどちらかといえば迷惑だと思う気持ちの方が強かった。でも、あの日から私はそんな風には思えなくなった。

人身事故のため電車が遅れています、という表示やアナウンスの中に、事故にあった「どこかの誰か」を思い浮かべてしまうのだ。その「どこかの誰か」が感じていた悩みやつらさ、絶望はどんなものだったのかを、答えもないのに想像してしまうのだ。

今も私はその沿線を利用している。
電車は何もなかったように、毎日あの場所を通過する。はじめのうちは何度か重苦しい気持ちになったけれど、さすがに最近は思い出すこともほとんどなくなった。
朝と夜。電車に乗る、通りすぎる、その繰り返し。出来事はやがて風化し、上書きされて、日常は続いていく。


・・・今日も、電車が遅れている。









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