我には変わった友人が多く、なんと言っても自分が変人なのだからしょうがないと、ここ数年思っている。ということで今回は、留学に行く我のともだちについて、紹介しようと思う。 我の友達は、全身黒い服にチェスターコートをまとい、登校してきていた。 彼は、教師から『フリーザ』、我ら同志からは『総統』と呼ばれていた。彼は高校受験の際、留学を決意し、ひとりでカナダのバンクーバーへ飛んでいった。 まぁ、そんなんが軽い説明で、もっと知ってほしいことについて、記そうと思う。 我
我にとってヴィーガンとはおかしい思想を持っている人間だと決めつけていたけれどポケモンをして少し気持ちがわかったため書き記そうと思った。 今回は2点ほど思ったことがあるのでそれについて記していく‼︎ ※今回は点滴の暇時間のあてにしてくれ‼︎ Chapter1 ポケモンを食べること ポケモンにはポケモン図鑑などからも食べられているポケモンも存在している。 そのため、今の地球のように人類はどんな生き物でさえ食べてしまっていると考えることもできるのだ。 その一例とし
我の人生は躁うつとadhdから成り立っていると言っても過言ではない。 それでは、今回はこれまでの人生で躁うつから習ったことを3つ紐解いていく。 chart1友達の選別 これまでの人生で友達は何人いたのだろうか 友達には需要があるかないかで分けることが可能 例えば、中学の友達は大人になっているのだろうか。 いらんだろ‼︎‼︎ まぁ、いらないけど例えば今でもつながっているだとか、好きな人だっただとか必要なことがあるのならトラッシュは待つべきだね しかし、そのほかはどうだ
我は今普通のそこらへんの私立高校に通っている。しかし、今すぐにでも辞めたい。 親に相談すると「まだ登校して2週間たってないよ」と言われる これを機になぜこのように感じたのかを説明していこうと思う 今日の晩ごはんのおかずにしてくれ まず、その例の学校は東大まであと11点の生徒を輩出したがそれはただの自称進学校のよくいうことに過ぎないのだ。数学では教科書を一から始めていく しかし、県内最高の偏差値を誇る進学校はもうその教科書の50ページほどは春休み等の宿題となっている
ある少年が高校受験をまぁ今年か、やりました その少年はひとりぼっちでクラスに友達がいない そして、adhdと躁うつを持っていました そんな我が数学をずっとして偏差値が大変になったときのことを記していく‼︎ ※今は違う自分のため彼と呼ばさせていただく 彼は初めて下のような偏差値で中3になった これ、よく見てみたら理社できてますよね しかし、中3の最後実は理科がすべって公立落ちたんよー 理社は最後だいたい偏差値55ぐらいに落ちてた この模試結果の男子社会、理科1位の子は