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Z世代の生きづらさについて考えてみてる(途中)

NHKの番組を見て、文章化しようと思い至りました。
頭の中で思ったこと、番組を見ながらした両親との議論などを思い出しながらの走り書きのまま投稿しているので、読みづらいし言葉が足りないところもあると思います。
これが新鮮な言葉そのままに近いので投稿しました。

また随時思いついたことを追記します。

まず

ルッキズムに関して

これはSNSの普及が重要な因子であると言えるでしょう。多様性を求めることは必ずしも他人に無関心になることではないし、SNSをチェックしないと話せない話題でもっている関係性は脆いのでないかと思ってしまいます。けれどそれは私が家族という場所をもっている側だから言えるのでしょうか。学生のうちは学校がイコール世界のように思えるのもよくわかります。

お金について


やっぱりお金に余裕があるということは心の余裕を生むと私も実感したことがあります。
両親が若い頃はお金のことなんて考えていなかったらしいです。
今は、情報が溢れていて未来をある程度シミュレーションできてしまうのが良くないのではないかとも、反して現状が不安だからシミュレーションしたくなるのではないかとも思います。
何十年後のことをしっかり計画したって計画通りになんかいかないですよね。ぼんやりとした理想くらいがちょうどいいのではないでしょうか。
話を聞いていると、昔は頑張ればいいことがあると未来に希望を持てていたから未来がわからないことに楽しさを感じられていたけれど、今は発展しつくしたというか低迷期というか寧ろ不安を覚えます。
選択できない辛さもあれば、選択しなければならない辛さもあります。

平和について


私はもし願いが叶うのなら、世界平和を願います。しかし、世界平和とは何か平和を簡潔に語るならどう言えば誰一人取りこぼさないで平和が訪れるのか考えています。
やはり対話が重要ですよね。
人間が生存してきたのは言葉、対話があったからでそれを正しく使うからこそ人間でいられるのであって批判ではなく対話の仕方をもう一度学び直すべきです。自分の考えをなるべくそのまま伝えるのは難しいです。
でも対話ってめんどくさいことです。時間も労力も必要で大人、子供と線引きの上での対話だったら結果だけで終わらせてしまえるかもしれません。でも対話においては過程の方が大切ではないでしょうか。対話という行為が向き合っているという表示にもなると思います。それでお互いの自己肯定感も上がるのではないでしょうか。
私は小学生にものを教えるアルバイトをしているので、この点についてはより考えなければならない立場にあると思っています。学校ではおおよそ全てのことに期限があって結果を求められがちです。でもそれ以外ではプロセスを大切にすることができる時間があります。私が対話の姿勢を見せることで、自分の話を聞いてもらえる場所があると思ってほしいです。

メモ 政治についても書きたい。

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