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『ゆめみるけんり』vol.5の準備中です

私が(いちおう)主宰している詩と生活のzine『ゆめみるけんり』vol.5の原稿が(ほぼ)揃いましたので、目次を公開しました!今回の特集は「私からはじめる」です。

工藤個人としては、プラトーノフの手紙(短い)とマレーヴィチの長いエッセイを訳しています。今回は本当に豪華な布陣に寄稿いただき、特にすごいボリュームになります。

夏〜秋に完成予定。お楽しみに!

おまけですが、vol.5の作製プロセスをつうじ、最近ますますCHAIというバンドが自分の中で重要になってきます。最近公開されたこちらのKEXPでの動画には大変充実したインタヴューがついており、ポスト“NEOカワイイ”のフェイズを迎えたCHAIの紹介として初めての人にも大変良いと思うのでお勧めしておきます。考え方に共感できる部分が多いのにくわえて、言葉の遣い方の一つひとつがよく考えられ・練られていると感心してしまう。YUUKIさん(CHAIの“言葉”担当と言っていいと思うのだけど)の言葉では、「べき」が慎重に避けられ、動画中(43:30〜)では「提案」ということが言われます。

それと関係するかどうか判断を留保しながら書くのですが、『ゆめみるけんり』の今回の号への寄稿を受けて、わたし個人としては、怒りという感情にどう向き合うかということをもっともよく考えました。自分自身にとっては誰かに対して怒りを露わにすることが難しく(というのはそれだけ恵まれた・ぬるい状況に居れたということなのだと思うのですが;自分としては怒る前に泣いてしまう)、誰かが怒りを露わにしている場面に関わりながら、自分がどのようにその感情を受け止めていいのかがよくわからないということがわかりました。ゆっくり考えると、子どもの頃に父から一方的に受けることを強いられた怒りの始末をつけられていないということもあるのかもしれません。

怒りを受けた個人は、怒りに対してはおそらく怒りや遣り場のない憤り、悲しみ、悔しさでもってしか対抗し、あるいはやり過ごし得ないし、それは効果としてはネガティヴなスパイラルに陥らざるを得ないのではないかと思ったのです。権力に対して、怒りをぶつけざるを得ないことがあるというのはよくわかるし、権力に対してはいつでも怒って、よい(←許可の意味でなく当然の意味で用いています;私にも権力として想定されるものに対してたしかに怒りの感情がある)。しかし表現の手段を選択できる立場にあって、それでなお怒りを選択するのであれば、できるだけその他の手段をも検討した方が副作用が小さいのではないか、というのが自分の暫定的な「提案」です。鶴見俊輔さんが「噂話・ゴシップは自分のところで停めるようにしている」ということをどこかで言っていましたが、同じように、怒りを受けたとして、その受け止め方・受け身の取り方にはいろいろあるのではないか。

ある怒りが浮かんだとして、それは自分固有の怒りなのか、誰か・何かに持たされた怒りではないのか。(選択できない場合も多いと思いますが、もし選択できる立場・時間があって、なお)怒ることを選択するならば、その怒りの宛先はたしかに実在するのか、仮想しているだけでないのか、ある特定の個人を一般化していないか、人そのものに向けたものなのかある人の思想や思念の一部にのみ向けられるものなのか……など、怒りを正確に画定するための手続きを踏んで、副作用を少なく抑えることは可能であり、表現をする場合には必要なことでさえあるような気がわたしにはしています。(文脈上明らかなことではあると思うが、当然、「怒るな」「伝え方が悪い」というフェミニズムに対して投げつけられる暴言に与するものではありません)

という、文字にしてしまえばこれだけのこと(?……もっと何か言える気もするけれど)なのですが、わたしはこのことを二か月間ぼんやりといろいろな隙間時間に考えつづけていました。逆に言えば、自分にとって、自分が態度を見きわめ何がしかの立場を取りそれを表明することにはだいたい二か月ほどの時間を要するということが分かりもしました。うすうす思っていたのですが、自分の頭の働きは重く・遅く、また狭く、つねに後からしか自分なりのポジションがやってこない。それが原因でいろいろ自分が嫌だなと(特に人との会話の後には)自己嫌悪を感じることも多かったのですが、SNSを辞め、コロナのせいで引きこもることを強制され、次第に流れのほうを自分に合わせていくということを学びつつある感じもしており、なにしろ無理なくやりたいなあと思っているところです。

なんだか取り止めがないが、「私からはじめる」特集にいただいたさまざまな寄稿からわたしが考えさせられたことの一つの例として。

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