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マイ史跡

 iPhoneによると、昨日は219歩しか歩いていない。なのに、3食に加えて大袋のミレービスケットを食べてしまった。計算すると、一袋で813キロカロリー。おそろしい。素朴な顔した悪魔。2週間くらい前まではStay Homeに抗い、自転車で徘徊していたのに。いまは4畳の部屋にこもって本を読んでは読書メーターに記録して…というルーティーンを繰り返す日々に適応した。今日は散歩をしよう。

 スズキナオさんの「深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと」に、「マイ史跡」をめぐる話が収録されている。歴史上の人物のように、名もなき人にも自分しか知らない史跡がある。それがマイ史跡。簡単に言えば、思い出の地ってことで、誰でも見つかるはず。外出自粛期間で行動範囲が狭くなり、近所を散歩しているとマイ史跡が次々見つかる。

 小学校低学年のとき、月に1、2回、バスを乗り継いで「長崎屋」というスーパーに母と祖母と出かけるのを楽しみにしていた。スーパーといっても、3階建てくらいで衣料品コーナーやテナントが充実していて、当時は百貨店だと思っていた。祖母の洋服や下着(祖母いわくシュミーズならぬシミーズ)を買う付き添いだったが、私の目当てはキャラクターグッズや文房具の売っている雑貨屋に寄ることだった。板チョコのようなブロック型シールとか、ラインストーンの飾りが付いた鉛筆とか、可愛いキャラクターのプロフィール帳。小学生の心が躍るグッズがてんこもり。シール交換全盛期なので、どんな可愛いものを仕入れるかばかり考えていた。もちろん一回につき、1、2個くらい、ワンコインの範囲くらいでしか買ってもらえないが。学校の勉強の記憶はないのに、買ってもらった文具のことはよく覚えている。

 午前中に買い物をして、幹線道路沿いにある近くのかっぱ寿司かバーミヤンに行くのがお決まりのコースだった。基本外食をしない家庭だったので、出かける前からどのメニューを選ぶか考えるくらい楽しみだった。家から自転車で15分くらいの場所に本物の百貨店があったのに、なぜ長崎屋だったのかわからない。でも、そのころ百貨店はファストファッションの店などは入っていなくて、ちょっと高尚な感じがあったので、あまり行かなかったのかもしれない。

 高学年になると装飾てんこ盛りの文具への興味は薄れていった。祖母のいかにも大阪のおばちゃんっぽい服を一緒に選ぶ時間は退屈になって、付き添うことも減った。本物の百貨店にロフトが入ったので、友達と出かけるようになった(お金がないので、ウインドウショッピングしたり、デパ地下の試食したりだけど)。長崎屋って百貨店じゃないじゃんって気づいた。

 先日、車でたまたま長崎屋の近くを通った。工事の囲いでよく見えなかったけど、建物は解体されていた。長崎屋は10年くらい前に閉店して、別のスーパーが入ったがそれも潰れたらしい。その間に祖母も亡くなった。時の流れを感じるが、何よりも長崎屋、こんなに近い場所にあったんだ!と驚いた。小学生の頃はバスと徒歩で体感30分以上かけてたどり着いた気がするが、車で10分もしなかった。百貨店へのちょっと特別な遠出だと思っていたのに、まあまあ近所だった。子ども時代の世界の狭さを実感する。行き来するといえば学校と自宅、友達の家くらい。実家は車がないので、徒歩か自転車くらいしか交通手段がなく、公共交通機関に乗れるのは親とのお出かけの時だけ。世界が狭くて当然だった。

 子どもの頃の小さな世界、たとえば、家から小学校までのたった1㌔の通学路にも思い出がある。勝手にもぎ取ろうとしていたら、心優しい所有者の人がハサミで実を取ってくれたビワの木。高校生になったら一緒にバイトしようと友達と約束したのに、それまでに閉店してしまったパン屋。登校中に夢中で読んでいたら遅刻してしまった、七夕の短冊が飾られていた幼稚園。どれも名所でもなんでもない、ありふれた景色だけど、これもマイ史跡として数えたい。世界が狭いからこそ、一日一日が濃かったんだと思う。年を重ねて行動範囲が広がり、人間関係が複雑になるにつれて、日常の何気ない記憶が薄れている。もはや、楽しいよりも苦い思い出の方が色濃く覚えてしまうようになった。か、かなしい大人。SNSに写真を載せたり、つぶやいたりするのは、誰かに報告したいだけじゃなくて、忘れないためでもある。

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