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時々、終活の様な事をしてしまう。

人生、一寸先は闇。このコロナ禍で一層そう思うようになってしまった。明日も明後日も変わらない日々が続いて行くんだろう、と言う淡い期待が持てない。

今の会社にずっといるのか分からないし、いつまで健康でいられるか分からない、ずっと今の様な生活が出来るのか分からない…。

だから、不要な明細を破って捨てたり、SNSアカウントを削除したり、不要なサイトの登録を抹消したりと言う行動をする。職場では、私物は出来るだけ置かないし、マニュアルはデータで作って無駄な紙媒体は増やさない様にしている。職場に関しては、骨を埋めると言う意識が持てないのだ。自分がずっと居たいと思っても、居られなくなる場合もあると経験しているから。

最近は、Twitterのアカウントを削除した。不要な明細も破り捨てたし、くたびれた布マスクや下着も捨てた。要らない資格に関する教材も紙のリサイクルに持って行ってもらう。何故か持ち物を少なくしたがる傾向がある。

数年前には、家族に見られたくないものは処分したりしていた。目の前で捨てると、勿体ないと戻される事もあるし。

そんな行動が、なんか終活みたいだなぁ、と思った。たまに思い立ったら断捨離に勤しんでいる。昔の家がゴミ屋敷位物が多かったので、物は少ない方が良い。もし私の身に何かあったとしても、物が少ない方が家族は助かると思うし。「通帳とか大事な書類とか、どこにしまってんだろう?見つからないわ」とならない分かりやすい状態にしておきたい。

ただ、シンプルにすっきりしたいだけなんだろうけど。死んだ後の事なんか、どうにも出来ないしな…。自分にコントロール出来る事なんてそんなに無いのかも知れない。

小中学校の時の友達と撮ったプリクラでさえ、「もういいかな…捨てても」とか思っちゃう。疎遠になって付き合いは無いし。最近はスマホ内の画像も数を減らして行っている。沢山あった所で、私が居なくなったら誰も見ないだろうし。気に入った画像だけは写真でプリントアウトしておこうかな~と思っている。家族はデジタル媒体の扱いは詳しく無いだろうし。

大切なものって、実はそんなに多く無い。何故か身辺整理を時々したくなる。なんなんだろうか?どうせ、永遠とか変わらないものなど無いんだ、と言う諦めがそうさせるんだろう。死ぬ時は何も持って行けないから。






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