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好感度は高すぎない方が良い、に納得。

どこかのテレビ番組で、お笑い芸人の人が言っていた。好感度が高すぎると、不祥事を起こした時に叩かれ方が半端ないからだ。だから、好感度が上がり過ぎない様にしているのだとも。

確かに、芸能人でもあまり好感度が高くない人が不祥事やらかしてもダメージがそんなに無い(全く無い訳では無いけれど)キャラ的に「許され力」が高い人も居る。

芸能人で思う好感度が低い人は、容姿や性格を清廉潔白?に見せて無い人達だ。あとは、毒を吐くとか酒・タバコ・博打してたり異性関係ちゃんとしてなさそう(だらしなさそう)とかかな。所謂クズと言われている方々だ。

好感度が高い方がメリットがあったり周囲からのウケは良いだろう。しかし、不祥事をやらかした時の周りからのバッシングや手のひら返しは半端ない。不祥事やらかさなきゃいいんじゃない?って思うかも知れないが、人生って何があるか分からないし精神的にヤバイ時がくるかも知れない。

そんな叩かれ方を見て「怖っ、あんまり好感度高すぎない方がいいな」とテレビの向こう側に対して思った。


仕事に関して言えば、「仕事が出来る」と思われたかった。「出来ない奴」とレッテルを貼られるのが怖かった。自分の存在価値が無い様な、周りの役に立てていない様な感じがするから。周りの目を気にしない、と思いながら実は気にしていた。

仕事が出来ると思われるとチャンスが沢山ある反面、周りが出来ない(やらない)仕事を押し付けられる可能性がある。その分だけ評価してくれる会社ならいいが、頑張りが報われない時馬鹿を見ることになる。さらに、出来る人と思われると、周りからの期待値が高くなり、失敗すると失望される。周りの評価を気にしない人ならいいが、周りの期待値の高さが自分の首を絞めることになる。

終いには、あまり仕事量が無い人達を見て「自分だけ頑張って馬鹿みたい」と思う。私は当時、スキルの積み上げに必死で、上司も色々な仕事を経験させてくれた。その会社を辞める最後の方は、他のスタッフと比較して馬鹿らしくなった。真面目にやった方が馬鹿を見る。そこから仕事がそんなに好きじゃ無くなった。

人柄に関しても仕事に関しても、あまり良い様に見られたいとか思わなくなった。ただ、あまりにヒドイと仕事を失う可能性があるので、程々にしている。

何かやらかしても、周りが「あいつはしょうがないな~」で終わってくれるキャラの人が羨ましい。私はそんなキャラにはなれないから。もしくは心臓に毛が生えていればよかったのに。

良い風に見られたいと言う欲求は、時として自分を苦しくする。

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