わたしはわたし。あなたはあなた。其以上に何がある?
わたしは大学の看護学科出身のため
看護に必要な解剖学や生理学といったものの他にも
心理学の講義なども今まで受けてきたのだが
その心理学の講義で学んだことのなかで
今でもわたしの脳内に強く残っている言葉がある。
それは「日本人は自分を型にはめたがる人種だ」
と言う言葉である。
元来人間は社会生活を送る上で、自分自身が
何処かに属していることで安心感を得るらしく
逆に社会の中の何処にも属していないということに
強い不安感を抱く傾向があるのだそうだ。
そして日本人は、真面目な国民性が故に
特にその不安感を強く抱きやすい傾向があり
その不安感を打ち消すように
自分自身を何かしらの型にはめたがるのだと言う。
その型は、例えば「学生」「会社員」などといった
社会のなかでの自分の役割を表すものであったり
自分自身の性別(ジェンダー)、セクシャリティ
自分が抱えている疾患なども含まれる。
つまり言ってしまえば、「自分自身が何者なのか」
それを簡単に言い表せる言葉を、皆求めており
「何者でもない自分」というものに強い不安を抱く
ということらしい。纏めるとそんな感じ。
実際わたしも自分が「何者でもない」と思う時期が
今までの人生のなかでも結構な回数あったのだが
そのときはとても強い不安や恐怖、焦燥感に
日々駆られていたことを今でも覚えている。
また自分だけでなく、MIXbarのお客様でも
自分のセクシャリティやジェンダーがわからないと
相談を持ちかけてくる方も結構多かったりする。
その度に大学の講義で出てきた前述の言葉が
わたしの頭のなかにぽんっと浮かんでくるのだ。
だが、数多くのことを経験し大人になり、わたしは
果たして自分自身を何かしらの型にはめることは
生きる上で必ずしも必要になってくることなのかと
疑問に思うようになった。
確かに自己紹介などをする際はわかりやすいように
パンセクシャルです、ジェンダークィアです
看護師やりつつMIXbarでも働いてます、などと
自分のことを説明しているのだが
あくまでもその言葉たちはわたしのなかで
わたしを表す上でのただの「記号」でしかなく
わたしは自分自身のことを自分で何かの型にはめて
日々を過ごしてはいない。いまは。
だって自分を型にはめてみたところで
結局「わたしはわたし」でしかないじゃないか。
わたし以外の何者にもなれやしないじゃないか。
「自分は何者なんだ」と悩んでいた過去のわたしよ
あなたはあなた以外の何者でもないのだよ。
其以上でも其以下でもない。あなたはあなただ。
其以上に何も欲しがる必要はないんじゃないか?
きっとわたしがこう思えるようになったのは
自分のなかで「確固たる己の存在」を築くことが
出来たからなのだろう。
世界でたったひとりの「わたし」と言う人間を
自身で受け入れることが出来たからなのだろう。
だから今日も、そしてこれからも
「わたしはわたし」としての人生を生きていく。
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