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二者択一ではなく、ジグザグに進みたいと思った久々の読書体験。〜note初投稿〜

ずっとやってみたくて、やってなかったnote。
家でごろごろしてるならやるしかねえっ!
と、重い腰をあげてみました。


就活も落ち着き、学校の図書館へいそいそと通う毎日。
なんとなく、ラウンジで目についたオードリー・タンの「自由への手紙」という日本初のインタビュー集を借りてみた。

母が最近
「オードリー・タン!オードリー・タン!!!オードリー・タンの本!!!!」とやたらと口にしてたけど、正直あまり存じ上げていなかったオードリー・タン。(ゲシュタルト崩壊済み)

大体私、本を選ぶ時は、表紙みて、そうですね、どちらかというと「直感」?で、決めちゃうんですけど〜

今回も、いつも通り、その直感と母の洗脳によってこの本を手に取りました。

いつも通り、と言ったものの久しぶりの読書。ワクワク。

高校生までは読書大好き人間、小学生の時は「活字中毒」と言われていた私。
大学生になって、しっかり、読書から遠のいていました。…うん、なんか残念…だね。

などと、言っている間にさっき読んだばっかりのことを忘れていきそうなので、そろそろ書こ。

格差、ジェンダー、デフォルト、仕事。
この世界、社会の中でレベルや進度は違えど、どこかで常に問題を抱えるこういうものたちから「自由」になる。

様々な角度から人類が「自由」になる考え方をお話ししてくれていたが、「オードリー・タン」その人があらゆる枠組みを取っ払って物事を再考する「自由」の体現者であるので説得力がある。

冒頭で、真に自由な人とは

「自分が変えたいと思っていることを、変えられる人。」、
「自分が起こしたいと思っている変化を起こせる人」

だと言っていた。

…いやオードリーやないか。

多くの人が、政治のみならず、様々なことに対して、「いやもっとこうしたらいいのに。」という気持ちを各自抱いている。

オードリーさんの場合、「いやも…シュン!!!」くらい、いや、もっと早い速度のスピードが行動までにある。
それは何に対してもフラットな見方で、白黒ハッキリしてから動くよりも「大まかな合意」、遊びを残した状態で次の行動を考えられるからだと思う。

「賛成、反対」や「正解、不正解」の立場に立たず、ちょっと俯瞰からそれを眺め、自ら生み出した、また、既にあるテクノロジーを活用してどっちの立場も包括出来るような案を生み出す。
ドラえもん好きって言ってたけど、この人がドラえもんみたい。

そして、その案で人々を納得させてしまう。その説得力もある。色んな立場を包括した、誰も排除しない案を考えているから多くに受け入れられる。

インクルージョン社会。これって本当に実現できるんじゃないか、てか、えっ、待って、台湾ってもうそんなとこまで行ってたの?という気持ち。

自らの得や、経済的利益の追求を終えたフェーズの人が考え、行うことだから、こうもスムーズに「当たり前そうで簡単そうなこと」だけど実現されないことが実現されているのだろうか?

この人の脳みそと目で世界の問題を見たら、ものすごく単純にうつるのかな。いや、そうでもないか。でも、「よりよく」するアイデアがポンポン出てきそう。

読後の感想としては、
「わー、私の尊敬する人リストの人増えた〜☆」です。

物事をフラットにみて、その上で自分の考えを生み出せる人がカッコいいなと思ってるのだが、そういう尊敬する人たちはたくさんの価値観に自ら触れ、考えた上でそこに立っている。じゃないと説得力はない。知識と広い視野を持たないと。

うん、やっぱ読書しよ。

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