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人生はなんとかなる


私は、「人生はなんとかなる」と思って生きている。

思っている、というよりもはや、信仰や祈りに近いかもしれない。

しかし、私自身がこの祈りを裏切らない限り、つまり、信じ続ける限りにおいて、この、人生はなんとかなる。が私を裏切ったことは無い。

というか、信仰というのはそんなものだろう。

基本的に信仰とか価値観とかいうのは人間が作り出して勝手に決めつけて信仰してるだけなのだから、概念とか神とかが向こうからやってくるなんてことは無い。
だからこそ、概念だとか神だとかが、私というものを裏切るなんてこともありえない。

ただ、その概念を人間側が解釈して事象ごとに当て嵌めているだけだ。

もっとも、人間はその概念の解釈の幅が狭ければこそ勝手に裏切られたことにしてしまうのだ。

自らの手によって「概念が裏切ったのだ」という解釈を「信仰」してしまうことこそが絶望の所以だ。

要は、自ら先の信仰を取りやめ、信仰は裏切るという新たな信仰に移住したに過ぎない。

よって信仰する概念なんてなんでも良くて、なんならもっとも都合の良いものほど良いはずだろう。

そこで、神とか徳とかいう他者的な視点を介在させてしまうと、人間というのは責任を転嫁したり勝手に裏切られたことにしてしまう。

だからこそ「人生はなんとかなる」

この一文のみなのだ。

ここにあるのは、
人生に何者も介在させてはならない、ただ私の信じるところにおいては、なんとかなるのだ。
という確信に過ぎない。

重要なことは、何があろうとこの信念を曲げないことだ。

曲げたら最後、もうなんとかなることは無い、自らを自らの手で破滅させることになるのだ。

さあ、
信じる者のみが、なんとかなる世界へ。

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