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分からない漫画達

大友とか藤本タツキ的世界観はどうも、私には刺さらないようである。

もっとも、一般的な友人諸君には興奮する漫画らしいのでやはり「私に」ささらなかったということであろう。

ああいう、人間の欲とか葛藤とか感情とかいうものの爆発的、圧迫的な表現はどうにも汲み取れないところがある。

周りの友人は、その葛藤とか主人公とかに感情没入して楽しむのだろうが、私はそもそも登場人物をコマ(駒)のように捉えてしまうクセのせいで、1人に没入するだとか、感情の爆発だとかには感応できない。

それよりもむしろ、事実的な構成力とか、ストーリー性の方に目がいってしまうので、主人公の突飛な行動とかまあまあどうでもいいというところになる。

ただ、おもしろいのは、そこに一般的にいう「徳」とかいう信仰形態を自分自身にインプットすることである程度一般と同じ感覚を持つ事が一時的にではあるが可能になるということを発見したことである。

もちろん、これらの漫画も友人らと似たような感覚で読めるようになったのだ。
これを使えば普段は感じない、生きる感覚や嫉妬などの肉体的感覚を一時的に取り戻す(?)ことも可能ということだ。

真なる自己が不安定な人や、分裂気質がある人は試してみてもいいのかもしれない。
ただ、もっともそのような気質の人はいきなり「徳」とかいわれても理解出来ないので健常な友人に徳を積むとか、日常の中で良いことをしておくという感覚がどのようなものか聞き込みしてみると良いかもしれない。

一般的に擬態しようという試みはそもそもあまりにも分裂気質的なのだが、、

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