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わたしの”井戸”を掘る(noteの続け方)

「ポエジオ食堂」は詩を文字通り味わう=食べる仮想食堂です。今日は詩とレシピはお休み。ティータイムのおしゃべりです。

このnoteをはじめる半年前、2019年12月のこと。
3月に会社を辞めることは、職場の人に伝えていた。

でも、実は、その先のことはほぼ決まっていなかった。
その頃、廃材をクリエイティブに活かす実験を行う大月ヒロ子さんのツイートが目に入った。

ヒロ子さんは、いろんなところから廃材を集めて、分別して、廃材を使ったゲームを開発したり、京都で廃材を使った人形劇のワークショップをしたりと本当にたくさんのアイディアをあちこちで実現している。

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↑廃材のマテリアル・ライブラリー。見てるだけでワクワクする。

ヒロ子さんは、いつ会ってもニコニコ楽しそうで、心底、廃材をおもしろがっているんだなぁ〜と思う。
「?(はてな)」と「!(ビックリ)」は尽きない。

このツイートは、そんなヒロ子さんのツイートだからこそ、胸にグサッと刺さった。ギクリ、とした。

ヒロ子さんが湧き出る泉のようにたくさんのアイディアを実現されているのは、自前の井戸だから。
わたしがやりたいことって、借り物の井戸じゃないのか・・・
わたしの井戸は、なんだろう・・・

ずっと悩んでいた。

悩みすぎると勢いでアメリカに飛ぶ癖があって(スラダンの谷沢くんかよ)、ポートランドのアートカレッジでMFAとろうかなーなんて真剣に考えたりもしていた。

でも、今、こうして「詩を食べる」という
頓狂なコンセプトでものを書きはじめて、
わたしの井戸を、やっと掘り当てたような気がする。

尽きないのだ、やりたいことが。

「詩を食べる」というコンセプトにしたばかりに、メッチャいい詩なのに「食べる」という行為にいまいち結びつかず、ウンウンうなったりはしているけど(笑)
かたつむりの詩でエスカルゴはえぐい、とか。

紹介したい(料理してみたい)詩は、まだまだたくさんある。

#noteのつづけ方  というお題をみたときに、自前の井戸は、枯れることはないというヒロ子さんの言葉がぱっと蘇った。

そして、「のどの渇きは自分の胸の泉に汲まねば癒されることはない」(ファウスト)といったゲーテ爺さんのことも・・・。

井戸、ほってこ。ざくざく。


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