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【詩を食べる】くらし(石垣りん)/生きる力をいただくスペアリブ粥

詩のソムリエによる、詩を「味わう」ためのレシピエッセイです。今日紹介するのは、石垣りんによる「くらし」。生きることを厳しく見つめた詩と、生きる力がじんわりわいてくるスペアリブ粥を紹介します。ご賞味ください。

苦手な詩のこと

「詩のソムリエ」にも好みはある。「ファッション好き」な人が、どのブランドも好きなわけではないのと同じ。

苦手な詩もある。
その筆頭が、金子みすゞの「魚」についての詩だ。(お好きな方には申し訳ないけど…)なにが苦手かというと、憐憫の視点だ。

「お魚」(「金子みすゞ童謡全集」JULA出版局)という詩をみると、「海の魚はかわいそう。」からはじまる。いわく、「お米は人につくられる」「牛は牧場で飼はれてる」、「けれども海のお魚は、/なんにも世話にならないし/いたづら一つしない」。

それなのに、

こうして私に食べられる。
ほんとに魚はかわいそう。

だそうだ。この詩は西條八十に激賞されている。

「大漁」という詩も、漁師町で育った彼女の代表作。「朝やけ小やけだ、大漁だ」からはじまるこの詩は、

浜は祭りのようだけど、
海のなかでは何万の、
いわしのとむらい
するだろう。

と、浜辺(人間)のよろこびと海(魚)の悲哀を対比させる。どちらも愛唱され続ける名詩であり、読み手の想像を広げてくれるのはたしかだ。

でも、「かわいそう」「とむらい」などと言われると、首をすくめて逃げ出したくなる。

すんません、わるいのは人間です。
でも、食べるでしょう、お魚…。
そんな後味のわるさが胸に残るのである。

「いのちへの優しいまなざし」が彼女の詩の特性ではある。ただ、視点があくまで「食べる」自分には向かないところが苦い。
今よりずっと純真だった小学生のときですら、「大漁」の内容と挿絵にショックをうけた。

もちろんわたしにも憐憫の情はあるので、お出汁をとったあとのイリコや、フライパンに残ったちりめんじゃこを見るとしんみりした気分になる。
イカはさばくとき目があうので、その瞬間はつらい。

ただ、お魚は好きだし、なんでもいただく。鯛の目玉やカワハギの肝なんかも好物である。

食わずには生きてゆけなどしない―石垣りんの瞳

そんな純真な瞳で命を見つめるみすゞさんの「お魚」「大漁」と対照的に、おのれの残酷さを透徹した瞳で射抜いているのが石垣りんの「くらし」だ。

この詩は、「食わずには生きてゆけない。」というピリッとした断言からはじまる。

メシを/野菜を/肉を…とつづいたあと、

親を
きょうだいを
師を
金もこころも
食わずには生きてこれなかった。

そして、「ふくれた腹をかかえ」あたりを見渡すと、そこには…

台所に散らばっている
にんじんのしっぽ
鳥の骨
父のはらわた
四十の日暮れ
私の目にはじめてあふれる獣の涙。

この詩を読むと胸がズンとする。最初に読んだ10代ではこわかった。
「父のはらわた」など直視できなかった。

でも、逃げ出したくなるような感じではなく、神妙になる。そして、年を重ねるほど、この詩を受け止めねばと思うのだ。

銀行員として定年まで働き、戦前〜戦後にかけて家庭を長く支えた詩人・石垣りん。彼女には、自分の足でしっかりと立つたくましさがある。

自分の住む所には
自分の手で表札をかけるに限る
精神の在り場所も
ハタから表札をかけられてはならない

有名な「表札」という詩からも、彼女の姿勢がありありと伝わり、背筋がのびる。そんな彼女が、親きょうだい、師・・・あらゆるものを食わずには生きてゆけないという。その重み。

わたし自身、10代のころはやく自立したいと願っていたし、社会人になって自分のお金で暮らせるようになったときはほんとうにうれしかった。

でも30代になって、そんなものは全くもって「自立」ではないと気づかされた。いまだ親や師や友人ら同僚らがいないと…あるいは電力や水や食べ物がないと…生きていけない、という厳然たる事実を、申し訳なくも、ありがたくうけとめようとしている。

欲求にふりまわされていないつもりでも。
周囲を頼っていないつもりでも。

生きている以上は、まわりのものに齧りつき、栄養をすいあげ、骨をしゃぶって、それで生きさせてもらっているということ。

石垣りんの詩を読むと、おのれの姿におののきつつ、謙虚な気持ちになる。この詩でなければえぐられない心のすみをつつかれる。

このとき、石垣りんは「四十」とある。金子みすゞは26歳で命を絶ったが、彼女も40になればまたちがう詩を書いたのだろうか…。

骨の髄から出るうまみをすべて味わう、スペアリブ粥

さて、台所に移動しよう。
この詩をあじわうのは、骨付き肉と大根でつくる雑穀粥。地を駆けてきた骨からも、大地に根をはってきた大根からもしっかり出汁が出て、その旨味をすった雑穀米がまたおいしい。すべて、じんわり、からだに染み込んでいく。

材料(二人分)
・豚スペアリブ 6本くらい
・大根 半分くらい
・雑穀ごはん 2杯 ※白米でも可
・昆布茶 小さじ1〜
・薄口醤油 小さじ1〜
・塩
作り方
①大根は5ミリほどの輪切りか半月切りにする。
②豚スペアリブは塩をする。
③塩したスペアリブは一回ゆでこぼして、圧力鍋で大根と20分ほど加圧する。(圧力鍋がない場合、やわらかくなるまで40分ほど鍋でゆでる)
④塩、昆布茶、薄口醤油で味つけをする。
⑤あたためたごはんを入れる。
コツ
骨付き肉は、いつもより(重量の1%)強めの塩をふる。

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シンプルな味つけだが、滋味があってしみじみと美味い。
そして、残ったスペアリブの骨が、妙にゴツゴツとしていて、こんな弱い人間がこんな強そうなものを難なく食べていいんだろうか…という神妙な気持ちになる。

作者について

金子みすゞ(1903−1930)山口県生まれ
童謡詩人。西條八十さいじょうやそからは「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛された。みすゞ3歳のときに父が逝去。弟の養父とみすゞの母が再婚したため、みすゞも下関に移り住む。1926年に結婚し、娘をもうけるが、夫の放蕩や詩作を禁じられたことから離婚を要求。親権が認められず、娘に母を託す遺書を残して服毒。享年26歳。

その後、金子みすゞの詩は長らく忘れられていたが、「大漁」を読んだ詩人・矢崎節夫らの努力で詩集が1984年に出版され、人気に。代表作「わたしと小鳥とすずと」は小学校の国語教科書に採用されている。CMや合唱などにも採用され、日本で広く知られる詩人のひとり。

注:金子みすゞの詩は、死後50年経過時に著作権が消滅していますが、JULA出版社内「金子みすゞ著作保存会」がみすゞ作品を利用する際には同会の許可を得るよう求めています。今回の記事では全文を掲載せず、引用にとどめました。作品を利用する際はご注意下さい。

石垣りん(1920−2004)東京都生まれ
赤坂の薪炭商の第1子として生まれる。4歳の時に生母と死別。18歳までに3人の義母を持ち、きょうだいとの死別や離別、父の再婚・離婚などを経験する。日本興業銀行に事務員として定年まで勤務し、家族の生活を支えるかたわら詩を次々と発表し、「銀行員詩人」と呼ばれた。2004年、心不全のため逝去。『表札など』が有名。茨木のり子と親交が深かった。






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