【詩を食べる】春の夜の窓は開けて(矢沢宰)/ひそやかな文旦ゼリー
ここは、詩情を味わう架空の食堂「ポエジオ食堂」―詩のソムリエによる、詩を味わうレシピエッセイです。春の夜は、ほかの季節とまたちがう味わいがあります。その詩情を味わう詩とレシピの紹介です。
春の闇は、やわらかく香る
春の闇は、粒子がこまかい感じがする。しっとりと優しく、香るような。
春生まれのわが子のお世話で夜中に起きることが多くなって、闇の中でそんなことを考える。気のせいかな、と思うけど、それは「詩」のせいだ。
闇のなかにふんわり香ってくる梅の花。夜は今よりもっと暗かった上代、人々の嗅覚はずっと鋭かったのかもしれない。(たしか、とらやの羊羹「夜の梅」はこの歌が由来だったような)
あるいは、こんな句。
夕暮れのなかに、しどけなくおかれた着物の主の香りがかすかに漂ってきそうだ。春の夜の粒子には、香りがふくまれているように思われるのは、たぶんこういう詩情を受け継いでいるから。
春の夜の闇ととけながら
そんな、やわらかな春の夜。
だんだん暖かくなってきて、窓をすこし開ける。しとやかな闇のなかで、夭折の詩人・矢沢宰の詩を想った。
矢沢宰(1944-66)は、幼い頃に腎臓結核にかかり、その後も入退院をくりかえしてほとんど小学校にも行けない日々を送り、21歳でその短い生涯をとじた。
「神様」を恨み、託ちたくもなろう。なぜ自分が、と。なぜ普通の幸せも手にできないのか、と。けれどもこの詩に、そしてほかの矢沢の詩にも、そんなトーンは一切感じない。むしろ、研ぎ澄まされた静けさを感じる。「俺」という一人称がなければ、女性の作かと思うほど、繊細でやさしい詩語。
世界から切り離された小さな部屋で
窓を開けて、春の香りをこめて、彼はただ静かにお話をする。それは彼にしか許されない時空間での出来事なのだ。
あるアーティストが、ラム入りチャイを飲みながら深夜のバーで話してくれたことがある。中学生の時に不登校になり、ふと思いついて、夜が明けるまで起きてみた彼。
「それまではアルファベットのCのように一部が欠けてた『一日』という概念が、ようやくOのようにつながった。それが学校で習うことよりはるかに発見だったんだ」
彼は愉しげに微笑む。
真夜中に起きる人たち。彼らは、世界から切り離された時空間の住人になれるのかもしれない。「静かに神様とお話を」できる瞬間はそっと訪れる。このとき、夜の闇は彼らを包み込み、昼にないやさしい顔を見せる。矢沢の「春の夜の…」は、昼にしんどさを抱える人の癒やしの詩とも読める。
ひとりで食べる、ひそやかな文旦ゼリー
わたし自身も、社会人一年目・新天地での夜、あたらしい部屋で何度も目を覚ました。
そんな夜は、引っ越し間際に友人がくれた大きな土佐文旦が、部屋のかたすみでひんやりと静かに香っていた。だからか、前掲詩の「清く甘ずっぱいような香り」から、文旦の香りを思い出した。
誰にでも、完璧に孤独ではなくても、どこか心細い夜はある。そんなとき、この詩とあわせて味わいたいのは、控えめな清い甘さの文旦のゼリー。すこしゆるめのゼリーで、一粒一粒がプリッとした文旦の食感を味わおう。
するするとやわらかいゼリーは、病気の人でも、夜中でも食べられる。矢沢のほかにも、八木重吉をはじめ夭折の詩人も多い。彼らは、生活上では弱音を吐いたり運命を呪ったりしたかもしれないが、その詩はとても澄んでいるように思う。そういうところに、詩人の芯の勁さというものを感じる。
ところで文旦は、自然交配でグレープフルーツやハッサクなどさまざまな品種を生んできたそうだ。詩人が亡くなったとしても詩はずっと生き、引き継がれていくことを願いながら、スプーンで静かにゼリーをいただいた。
詩人について
矢沢宰(1944-66)やざわ・おさむ 新潟出身の詩人。
◆結核で短い生涯を終える
小学校に入学した翌年、中国から復員した父から感染し、腎臓結核を発症し、入退院を繰り返す。14歳の頃に詩作をはじめる。絶対安静を命じられていた宰は、手鏡で周りを見て詩や文章を書きつづった。
腎臓結核の再発・劇症肝炎の併発により21歳でその生涯を閉じる。
◆死後、評価される
没後、栃尾高校文芸部により遺稿詩集「それでも」が発行される。また三条結核病院の有志ほかにより、遺稿詩集「光る砂漠」が自費出版される。母のレウが、宰の詩を毎日新聞「母と子のうた」の担当者である周郷博に送ったことがきっかけで、宰の詩が同欄に掲載され、大きな反響を呼ぶ。矢沢宰記念事業実行委員会は、18歳以下による詩を対象に『矢沢宰賞』を設け、彼の業績をたたえ続けている。