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【読書感想文】蜘蛛の糸 芥川龍之介 ~あれ?なんか違うぞ的感想文~

みなさんお馴染みの「蜘蛛の糸」
一応。こんな物語です。

①蜘蛛の糸のあらすじ


お釈迦様が地獄を覗いてみると「カンダタ」という大泥棒を見つけます。
蜘蛛を殺さなかったという善行から「タンダタ」を助けてやるか。と
迦様は一本の蜘蛛の糸を地獄へ垂らします。


カンダタは天から下りてきた蜘蛛の糸を見つけて。
「これを登れば地獄から脱出できるぜ!」と必死で登り始めます。
でも、下から何百何千の罪人が同じく蜘蛛の糸にしがみついています。
カンダタは「下りろ!これは俺の蜘蛛の糸だ!」と叫びますが。
ああ無情。蜘蛛の糸はプツリと切れてまた地獄に落ちてしまいます。


一部始終を見ていたお釈迦様はカンダタを浅まく思います。
お釈迦様の足元には蓮の花が綺麗に咲いています。

という物語。

②あれ?なんか違うぞ的感想

ナイフのような丁寧語が鋭く美しく、地獄でうごめくカンダタと、極楽からそれを眺めるお釈迦様を描写します。

純粋だった子供の頃は、この物語を読んでから、しばらく蜘蛛や虫を殺せなかった思いがあります。

そして今。
汚れた大人になってしまった僕は、子供のころとは全く違った感想を抱いている事に戸惑っています。

というのは、大抵、この3部構成の「蜘蛛の糸」を説明するに、

1お釈迦様がカンダタに蜘蛛の糸を垂らす。
2やっぱり登れない地獄のカンダタ。
で完結してしまうのです。
そして
「生き物は大切にしましょう」とか
「悪い事をすると地獄に行きますよ」とか
「自分だけ助かろうなんて考えはいけません。」とか
そんな感想ですよね。

でも
僕は3が気になって仕方ないのです。
全文をここに書いちゃいます。


御釈迦様は極楽の蓮池のふちに立って、この一部始終をじっと見ていらっしゃいましたが、やがてカンダタが血の池の底へ石のように沈んでしまいますと、悲しそうな御顔をなさりながら、またぶらぶら御歩きになり始めました。
自分ばかり地獄からぬけ出そうとする、カンダタの無慈悲な心が、そうしてその心相当な罰をうけて、元の地獄へ落ちてしまったのが、御釈迦様の御目から見ると、浅間しく思召されたのでございましょう。
しかし極楽の蓮池の蓮は、少しもそんな事には頓着致しません。その玉のような白い花は、御釈迦様の御足のまわりに、ゆらゆら萼を動かして、そのまん中にある金色の蕊からは、何とも云えない好よい匂が、絶間たえまなくあたりへ溢あふれて居ります。極楽ももう午に近くなったのでございましょう。

これ。怖くありませんか?
細い蜘蛛の糸を下ろして。
「お~い。助かりたくば登ってこい。」と高見の見物。
「お~い。切れるぞ~。カンダタ~。どうする~?」と意地悪テスト。
「ああ~。切れちゃった。馬鹿だな。」と出来レース。
御釈迦様は涼しい顔。極楽はいつものようなのどかな風が吹いています。
って。。。。これ。怖いでしょ?

たしかに
「自分ばかり地獄からぬけ出そうとする」
という一文がポイントで。
カンダダも「順番に登ろうぜ!」と提案したら良かったのかもしれません。

でも、世の中ってそんなに綺麗なものでしょうか?

細い蜘蛛の糸を自分だけは登ろうと必死なのが現実ですよね。
そして、意地悪に細い糸を一本だけ下ろす御釈迦様もまた現実なのではないでしょうか。
これ、「自分だけ助かろうなんて思ってはいけないよ」ってな教訓でもなく。
「世の中とはそういうものだよ」と現実の世の中を描いている気がするのです。

③結論

だから僕の「蜘蛛の糸」の感想は
お釈迦様は意地悪!
カンダタはナイスチャレンジ!
なのです。

細い蜘蛛の糸を見つけたなら僕は黙ってスピード勝負で一人で登ります。
そして極楽から無数の蜘蛛の糸を下ろして人々を救います。

僕はカンダタより賢く、お釈迦様より尊く生きようと思うのです。

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