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沈黙のうちに飛ぶ蝶へ

沈みゆくおまえの身には幾羽もの蝶が群なし葬送として舞う。くたびれ切った体の奥に秘めた言葉をついに発することもないまま、記された日記はすでに火にくべられて、跡形もなく灰となった。その記述とともに失われたおまえの記憶をサルベージする手立ては、唯一残された詩のうちにある。非実在の言語で書かれたそれを一字一字解読するうちに、七十四連に及ぶ詩のなかから母の影が立ち昇り、かつて海の果てへと去った父の背中が陽炎にゆらめく。おまえの認識というものはついぞうつつをとらえず、幻の中にあらわれては立ち消えて、その筋を辿るのも容易でない。端々の言葉を組み立てて、ようやく父が正面を振り向いたと思えば、その瞳も靄がかって、その結ばれた唇の奥に思想を宿したまま、わずかに青ざめた唇だけが語られることのない景色をあらわしているのだった。そこにかつて重なったはずの母の唇には赤いルージュが塗られ、母音の形にかすかに開かれた小ぶりな唇は、もはや吐息をこぼす他はなく、そうして沈黙が詩に訪れる。おまえの喪った故郷には今も魚が泳いでいる。泡となって立ち昇る空気の中に子守唄が押し包まれて、やがて弾ける。こぼれた音楽は水中にかき消えて、かすかな波となって水面を揺らす。そうして揺られるこの船も、いずれあのなつかしい港へと辿り着く。先客が生けて船室に散らばった花びらはすでに朽ち、腐臭がただよう。壁に飾られた絵画には果物が腐乱するほどにうずたかく描かれ、ヴァニタスを物語る。やがて蝶の一羽が船室へと迷いこみ、おまえの詩篇の上に羽を休ませる。鱗粉を散らしてふたたび舞い上がるとき、私はようやく詩のうちに故郷の名を見出す。二重線で消された上に記された上にある音を、ヴァルハラ、となぞる唇はやがて閉ざされ、静寂のうちに重なる指先に死者のゆく先を重ねて祈る。

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